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[hiroic's various Review & Daily Memo] Hiroicによる映画・ドラマ・本・芝居・四方山などに関するれびゅー
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作・演出/わかぎえふ

ReviewWriteDate:2000/10/21
LastUpdate:2000/10/21

Cast:
わかぎえふ(キキョウ)/及川直紀(安達勝道)/コング桑田(松平直政)/生田朗子(お夕の方)/藤田幸恵(藤原桂子)/朝深大介(紅情死郎)
ツバメ(久野麻子)/安井邦彦(河野竜之進)/風間水希(茜)/菅川裕子(サギリ)
野田晋市(菊之助)/千田訓子(あやめ太夫)/尾崎美樹(月姫)/磯川美樹(お洋)/西尾崇(古谷忠之)/恒松崇浩(高嶋義信)/可児仁志(可児丸/小田切)/坂口万紀(お亀)/大庭英紀(政々)/佐々木智史(雷鬼)/谷口友梨(華姫)/中山毅一(香代の方)/松下詞子(コヨリ)/水谷有希(ツバキ/新富屋)/安田武敬(幽鬼)/小林仁(赤鬼)/原田篤志(炎鬼)/升田祐次(烈鬼)
山本信記(トランペット)/江崎将史(トランペット 9/25,27のみ)

2000/10/12~22 @本多劇場

Date:
2000/10/15 15:00 H18

Note:
リリパット・アーミー6年ぶりの本格時代劇。

Story:
日本一の興行師、菊之助のもとに安達家から興行の依頼が入る。
その興行とは松平家をまねいた茶会。松平家はその茶会を失敗させ安達家に恥をかかせることで娘月姫と安達家の子息との結婚話をなかったことにしようとしているのだ。
安達家はなんとかこの茶会と併せて行われる婦人同士の衣装比べを「勝っても負けてもいけない勝負」として菊之助に依頼をしたのだった──。




ヒトコトReview:

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浪花のサービス精神満開の大団円
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時代モノに弱いのは以前述べた通り。
以前から一度リリパット・アーミーを観てみたいと思っていたので時代劇ということで初チャレンジ。
さて──。


■歌と踊りの大サービス

お話はもう大団円。
歌舞伎を意識したというわかぎえふ氏。
それがなんとなく納得。歌舞伎くわしくないけどこういう感じありそうとうストーリー。
あげく『双子が生まれ一人を殺した』と言われれば、そら主人公菊之助が実はその殺したはずの子供にきまってるじゃん! 的な思い通りの展開がここちよい。
この菊之助役の野田さん、カッコいい~!
へなへなしつつも芯がありそうで、でも甘ったれって感じがよい。
他の芝居でも観てみたい。
(シアターガイドの『わたしの今月』コーナー出てるんですね。写真違うじゃないっすかあ。本物のがいい!)

ただちょっと気になったというか不満なラスト。
菊之助は実は摂関家のおぼっちゃんが家出して自分のやりたいこと=興行師をやっているっていう設定なのに
養母である桂子に華姫との縁談を薦められても「実はロリコン気味だから丁度いい」とかいって結婚しちゃう。
まあ、甘ったれのボンボンが家出してっている話なんだからそれでもいいんだろうけど
腐っても女性ファンはそうは納得せんぞー。
そこでまた家出ぐらいしてほしいもの。カッコいいキャラにそう簡単にロリコンって言われても納得できないわ、感情的に。


■東京のオーディエンスは???

前日、やはり歌と踊りの『WHITE』だったわたし、なにやら歌と踊りに縁のある週末。
踊りはまあ決してうまいわけじゃないんですが、パワーがある。
ただ、観客のノリが悪いのかな、と思った。
(もちろんわたしのノリは悪い)
このリリパット・アーミー、大阪が拠点らしい。
「てことはこのシーンなんかも静かに見たりしないで、ちゃんとノッてあげて手拍子とかじゃないの?」という場面でも東京のオーディエンスは静かに観てるんですね。
だからエネルギーいっぱいに歌い踊っている舞台がどうも違和感、というか壁ができちゃうというか、そういう感じでした。
絶対東京と大阪のお客サンって違うと思うんですよね。


■謎のちくわ

カーテンコール時、「本公演ではおなじみのー!」と言いながら突然ちくわが配られ始める。
リリパット・アーミー初見の上、予備知識のないわたしはびっくり。
でもみんな普通に騒いでるところみると、おなじみなんだろうなあ。
おなじみってことはみんなリピーターだったりファンクラブに入ってたりするの?
わりに観劇中のノリがいまいちだった気がするんだけど・・・

終演後、わかぎえふ氏とコング桑田氏登場。
平日のチケット売れてないから今日の半券で1000円引きます! とのこと。
そんなチケット売れてないの?
結構おもしろいのに。
かくゆうわたしは平日下北沢に行く元気がないから日曜観劇。


■突然のサイン会

なぜかサイン会。終演後のロビーです。
サインするのは野田さんと千田さん。
パンフにサインしてくれるらしい。このパンフ、すごく小さくて便利。中身もおしゃれ。キャストの写真がよいのです。
野田さん素敵モードのわたしはサインもらおうかちょっとだけ悩みはしたものの、早く家に帰りたかったので遠慮してしまいました。
今思うともったいないかな?
最初から最後までサービス精神満ち溢れるリリパット・アーミーでした。

拍手

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脚本・監修/倉田淳
演出/倉本徹
振付/TAKASHI

ReviewWriteDate:2000/10/21
LastUpdate:2000/10/21

Cast:
1組
船戸慎士(正治)/斎藤直樹(岩波/客演)/岩崎大(三角草太郎)
2組
佐野孝治(正治)/秋田恭(岩波)/小林浩司(三角草太郎)
共通
青山治(坊)/舟見和利(マドンナ)/前田倫良(教頭=ティンク)/河合貴哉(向井=ウィンディ)/池内代輔(用務員=ハクション)/鶴田浩一(桜子=バオバブ)/森川洋(校長/プレイボーイ/長老)
※ダブルキャストの本役でない日も全員出演

2000/10/7~15 @恵比寿エコー劇場

Date:
2000/10/14 14:00 D9
2000/10/14 19:00 Z12

Note:
スタジオライフ新人公演。毎回新人公演はこの『WHITE』という演目が行われているそう。
今回は客演として宮本亜門『BOYSTIME』(2001年1月再演決定)などに出演している斎藤直樹が参加。

Story:
いつもと同じ朝
いつもと同じ元気な少年
いつもと同じ臆病な少年
ただいつもと違う事は
ホコリだらけの真っ白な本を見つけてしまった事。
そして大魔王、妖精、破壊の魔王が!

少年達はいつもと同じ教室に入る代わりに
いつもと違う空間に迷い込んだ…。
(パンフレットより)




ヒトコトReview:

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三角くんとWHITEの関係の遠さ
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さて新人公演。
前のWHITEの時はまだスタジオライフは知らなかったので今回初見。
演出が違うということで以前とはまるで違う舞台になっているらしい。
てなわけでWキャストの1組、2組を1日で一気に見ました。


■どこかで読んだストーリーとどこかにいるはずの三角くん

主役は、三角くんらしいです。
三角くんは臆病な少年。元気な正治たち3人組とマドンナたちと不思議の世界(本の世界)に迷い込む。
そんな三角くんが本の世界の冒険を通して自分の殻をやぶり一歩を踏み出す──といったストーリー。
なんですが。
ストーリーはほんと、もう何回読んだかわからないような感があります。
だからこそ、ストーリー以外の部分、ちゃんとしたキャラクター描写で観客に物語る必要があると思うのです。
にも関わらず、三角くんが、終始そこにいなかった。

ストーリーは常に正治たち3人組を中心に進みます。
前半はただひたすら学校の図書館のシーン。
そこでどうやら毎日アドリブの芝居を含めてひたすらギャグ?というかかけあい。
その過程で魔王や妖精などが登場し、キャラクターに加わってゆきます。
マチネ観劇時は、とにかくこのシーンを長く感じました。
わたしは芝居やテレビを見て簡単に笑ったりはしないので(ヤナやつやなあ)、なかなか世界に入り込めなかった。変な内輪盛り上がりに映ってしまったので。
ソワレの観劇は前から2列目だったせいか笑いがストレートに入ってきましたが。
(うーん、秋田さんのおかげかも)

ストーリーは途中から本の世界に移ります。
ただ、話をひっぱりかきまわし動かしてゆくのは3人組と魔王や妖精たち。
三角くんはただひたすら傍観者として舞台の端でおびえています。
観客の視線は決して三角くんには向かわないでしょう。
(三角くんの役者が好きなら別ですが)
それなのにラスト、池内ハクションが「この世界は君、三角くんなんだ」と言って急に三角くんを当事者にひっぱり出す。
もちろん、どっかで聞いたことのあるようなストーリーですので、わたしはそういうオチであることはなんとなくわかっているわけです。
でもそれはわたし側に頼っているわけですが。
場面は『銀河鉄道の夜』の世界に移ります。
そこでジョバンニである三角くんは舟(自分を守るもの)から飛び降りて切符をとらないと死ぬ──ということになります。
今まで一緒に異世界を旅してきたメンバーがみな三角くんを責めます。
苦悩する三角くん──ついに自分の意思で舟を降り、バオバブ(敵役)から自分の人生を取り戻す。

正直なわたしの感想。
「どうしてこんなことで自分が変わるの?」
三角くんが自分で経験し感じ拒絶し受け入れるものが、そこには何もないのだ。
少なくともわたしには見えなかった。
最後のシーンで言葉だけで説明されても、理解できない。
(いや、わたしは未だに三角くんとしての自分を意識して生きているから、理解できないわけではない、彼の気持ちが。)
彼はひたすら傍観者でしかない。
台詞でも「君はいつも傍観者だった」と言っているが、ではどうして傍観者である彼がこれしきのことで一歩が踏み出せるのだろう?
彼にちからを与えたのは『銀河鉄道の夜』シーンでの禅問答だけなのだろうか?
本当はそんなことはないはずなのだ。彼は何かを感じたから一歩を踏み出すはず。どうしてそれを描いてあげられないのだろう?
だからこそ思うのが「何かを見ているだけ、極限で選ばされるだけで、人は変わったりできない」ということ。
いやね、もしそんなことで自分が変えられるならいいのに、とは思うんですが。
何となく高校時代はそんなこともありました的なところに留まってしまいそうな世界。
言葉でいくら説教されても、わたしは得心できないわよ──てある意味憤慨してしまいました。

三角くんの気持ちはわかる。
だからこそ、ちゃんと三角くんにそのきっかけをあげてほしい。


■フレッシュたちのはじけっぷり

などなどと辛口に書きはしましたが、場を楽しむという意味では楽しめた。
2回目だった2組の方がすんなり笑いに入れたから楽しかったかな。
なにより『ドラキュラ』でデビューしたフレッシュくんが元気いっぱいにはじけていたこと。
純粋に彼らのそういう姿を楽しめたという感じ。

船戸さんはまさに『正ちゃん』! という感じ。
今回イチオシとなった青山さんの坊はもう最高。ボケボケなところもいいし、彼はちゃんとした演技もできそうなんで今後の期待が大。たまに舌がこんがらがってましたが。(笑)
池内さんは『黒いチューリップ』であの笠原さんのWキャストを演じた時から際立っておりましたが、今回のコミカルな役も素敵。用務員服なのに足ながーい。今回チケットは池内担当にしてしまったわたし。トーマでどういう役をするのか楽しみな一人。
秋田さんは今回初おめみえ。なんとも芝居がうまい! 場をつくるのがうまい。台詞じゃなくて演技で笑わせるってすごい存在感だよ。ライフっぽくないけどもっと観たかった。どうして今まで登場しなかったの?
前田さんは確かに痩せた? 台詞がはっきり聞き取れるお方。オヤジなティンクがかわいい。あの役を以前は舟見くんがしたんだから不思議だわ。
河合さん、彼に関しては『黒いチューリップ』のアンケートで「カツゼツ悪くて聞き取れない。精進して欲しい」と書いてしまった過去があるんですが、今回も目立っていました。黒チューと違って台詞が多いのでかなり気になった。聞き取りにくいを通り越して聞き取れないんだもの。次こそは改善してほしいわ。


■ジュニ3たち

ジュニ3たちの成長も著しかったと思うWHITE2000。
個人的に舟見! くんの成長に感動しました。がんばったね。がんばってるんだねって感じ。
昨年のカウントダウンの時「マドンナ(女役)は嫌い」って言っていた彼ですが、ちゃんと役者として女役を演じられていた気がする。
以前は台詞がない時は突っ立っているだけだった彼ですが今回はちゃんと台詞がなくてもマドンナを演じていた。もう、おねーさんは感動しました。
ついアンケートに「舟見くん成長したね」とかかなり偉そうなことを書いてしまいましたわ。
同じくカウントダウンの時「今年は女役をやりたい」と冗談で言っていた鶴田さんの女役、結構良かった。イメージが曽世さんの演じる女役でした。
あと佐野さん、喉弱いのかなあ。『黒いチューリップ』の時も楽日が近づくと声がかれていたけれど、今回もそうでした。うー、がんばれ。『訪問者』はメインだぞ! 1ヶ月の長丁場がちょっと心配。でもガクラン姿、カッコよかったわ。


■そして・・・斎藤直樹さん

客演である斎藤さん、実は斎藤さんばっか観てましたよ、ダンスの時は。
フレッシュやジュニ3たちとはレベルは段違いでした。
演技もよかった、岩波くんかわいい!
後日所属事務所CUBEのホームページで知った、斎藤さんの年齢。
わたし勝手に年下だと思ってたんだけど、全然年上じゃないか!
キャリアもすごいんですね。

マチネはクラブライフデイというファンクラブ限定の回で、終演後出演者による芸みたいのが見せてもらえるんですが、斎藤さんのが楽しかった。
彼が以前安室奈美恵のドームツアーでダンサーをしていた時のダンス、『Walkin the Park』(あれ、タイトルあってるかな?)のサビの振付指導。
指導を受けたのが笠原(斎藤さんとは『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』の出演で宮本亜門つながり)、曽世(麺達のCMまだ見れていない~)、前田(フレッシュ。急に引っ張り出された)の3名。
大学の頃面白がってこの振りを真似てみたもののちっともわからなかった振り。
ほうほう、こうしたたのか・・・と感心。
さてミュージックスタート。
曽世さんはさすがカンがいい、すぐ斎藤さんの振りを写してしまっている。
前田さんはどうやらダンスが苦手らしく、妙な盆踊りのよう。
笠原さん、スターってああいうのを言うのね。『スタア』て感じ。
もう、振りなんてもう勝手に無視して好き勝手踊っている。なのに目立つ。カッコイイ。場を自分のものにしてる。うーむ、さすが。
でもやっぱり斎藤さんの踊りがすごい。
踊れるっていうのはこういうのを言うんでしょう。
ダンスシーンの多かった『WHITE』、斎藤さんなくしてはつまらないダンスシーンでしたよ、きっと。
ちなみに斎藤さんのオフィシャル?ホームページは→■CHE4 WEB■


■スタジオライフ、死ぬ気の大サービス

今回はチケットもぎり、会場案内などスタジオライフのスター役者たちばかりずらっ。
『陰陽師』以来の浦さんをあえてえらんでチケットもぎりをしてもらうわたし。
(そして浦さん休団の挨拶もこの日あったんですが)
物販の及川さんは妙な格好しているし久しぶりの石飛さんもいる。
会場案内の笠原さんってのも凶悪ですな。
クラブライフデイの企画ではミルキーウェイ(楢原・深山)のコントもあるし。
さすが連鎖公演前、なんとかしてチケットはけさせるための劇団の努力!
堪能いたしました。最近こういうの減っていたので。

拍手

ReviewWriteDate:2000/10/21
LastUpdate:2000/10/21

Cast:
一、元禄忠臣蔵-御浜御殿綱豊卿-
  仁左衛門(徳川綱豊卿)/段四郎(富森助右衛門)/孝太郎(中臈 お喜世)/我當(新井勘解由)/宗十郎(御祐筆江島)
二、英執着獅子
  福助(姫後に獅子の精)
三、与話情浮名横櫛
  仁左衛門(与三郎)/玉三郎(お當)/弥十郎(蝙蝠安)/東蔵(鳶頭金五郎)/羽左衛門(和泉屋多左衛門)
四、お祭り
  仁左衛門(鳶頭)/玉三郎(芸者)

2000/10/1~25 @歌舞伎座

Date:2000/10/7 11:00 1F花道横

Story:
一、元禄忠臣蔵-御浜御殿綱豊卿-
 真山青果の名作。将軍綱吉の甥・綱豊(後の六代家宣)のもとには浅野家再興の嘆願が出されていたが、仇討ちを願う綱豊は迷っている。折しも綱豊の御殿で行われる能の催しに吉良上野介が来ることを知り、浅野の浪人・富森助右衛門がやって来て……。綱豊と助右衛門の、丁々発止のやりとりが見どころだ。
二、英執着獅子
 獅子を扱う石橋物の代表作で、名作『鏡獅子』の原型ともいわれる、変化に富んだ長唄舞踊。艶やかな姫に、やがて獅子の精が乗り移って踊り狂う。
三、与話情浮名横櫛
 土地の親分の妾・お富と逢いびきしたため、めった切りにされた若旦那の与三郎。三年後、やくざ者となった与三郎は、仲間の蝙蝠安とゆすりに行った家で、お富とめぐり会う。
四、お祭り
 江戸の夏祭りで鳶の頭がいなせな男ぶりを見せる清元舞踊。
(シアターガイドより)




ヒトコトReview:

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歌舞伎とわたしの相性は?
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玉三郎を観よう、と歌舞伎好きの友達に誘われ、人生で3度目の歌舞伎観劇。
1月に観た時はまんまと山場で眠りこけてしまったわたし。
さて今回は・・・?


■元禄忠臣蔵-御浜御殿綱豊卿-

ネタは忠臣蔵。
田舎が赤穂に近いため親が赤穂浪士大好きという環境で育ったため少しは身近。
セットがぐるりと回るのが「おお歌舞伎」って感じ。
昔学校で行った歌舞伎教室のときに教わったのに、名前が出てこない・・・
仁左衛門って誰かと思ったら片岡孝夫でした。
襲名とかされると名前がさっぱりわかりません。
この仁左衛門の能姿での立ち回り、消え方、カッコよかったです。
でも個人的に一番好きだったのが宗十郎演じる江島。
この後30分の休憩、お昼ご飯。
お弁当を歌舞伎座に入る前に購入していたので花道の隣でもぐもぐ。
このあたりまで、わりと元気なわたし。


■英執着獅子

個人的に、今回一番楽しかった演目。
福助演じる姫が獅子の精に取り付かれる・・・というもの。
姫姿での踊りがなんとも愛らしいし細かいのだよね、動きが。
歌舞伎はよくわからないわたしみたいな人間でも十分楽しめました。


■与話情浮名横櫛

歌舞伎の謎っていうのがこれ。
出逢いのシーン、三年後の間にちゃんと場面があるらしいにもかかわらず、いっきに省かれてしまった。
ので、歌舞伎初心者のわたしは途惑うばかり・・・
と言いながら、つ、ついに睡魔が・・・!
ここで一つ言い訳をさせてもらうと、前日夜飲んでました。
歌舞伎座と同じ銀座の駅から終電で帰宅したのです。
で、翌朝10時15分に銀座駅にいたのです。
ああ泊まった方がいいって感じ。(どこに?)
玉三郎、美や・・・でも、ね、眠い・・・
ごめんなさい、出演者のみなさま。こんないいお席で舟漕いでるよ、わたし。


■お祭り

ラスト、お祭り。少し目覚めるわたし。
はたして歌舞伎、相性がいいのか悪いのか・・・?

拍手

原作/夢枕獏
脚色/桜田信介
演出/松本きょうじ

ReviewWriteDate:2000/9/30
LastUpdate:2000/11/8

Cast:
児玉信夫(安倍晴明)/浦一弘(源博雅)
竹下明子(徳子)/山本芳樹(漢多太)/石井隆(鬼)/竹内順子(蜜虫)/吉田央舟(蝉丸)/及川忍(清介)/佐野大樹(男1・高校生)/山本佳代(玉草)/毬山貴人(従者・男2)

2000.9.15~9.24 @東京芸術劇場小ホール1

Date:
2000/9/15 17:00 A2
2000/9/16 14:00 B9
2000/9/16 18:30 A17
2000/9/17 14:00 B6
2000/9/17 18:30 B7
2000/9/23 14:00 B12
2000/9/23 18:30 B4
2000/9/24 14:00 B10

Note:
元スタジオライフの役者、児玉信夫がフリーになってはじめてのプロデュース公演。
原作は夢枕獏の人気小説『陰陽師』。

Story:
夢枕獏の小説『陰陽師』から『玄象といふ琵琶 鬼のために盗らるること』と『鉄輪』の二編。
『玄象~』は晴明メイン、『鉄輪』は博雅メインの展開。


ヒトコトReview:

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浦・博雅の涙に涙するわたし
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通った日数をみていただければ、いかにこれが尋常でないかは、わかっていただけると思う。
というのも、大好きな役者児玉信夫の初プロデュース演目であり、かれこれ彼のまともな舞台(4月の『ヒマジン』は3分間の客演)は1999年8月のスタジオライフ『死の泉』以来。
それはもう気合が入っているわけです。
チケット取りも頑張って・・・運も手伝って5分で電話がかかったし、ほとんどの回が最前列という具合。
とりあえず土日で行ける公演はすべて行く・・・ということで5日間8公演、観劇してしまいました。Wキャストでもないのに・・・。


■児玉・晴明と浦・博雅のバランス・・・博雅について

そんなこんなで児玉さんを見に行ったはずのわたしでしたが
蓋を空けたら──浦さん演じる博雅に目がくぎづけ。なんてことでしょう。
もちろん事前に小説も読んで行きましたし、大学時代漫画も読んだことがあるわたし。
晴明と博雅にはイメージができています。
博雅、イメージ通りでした。
無骨でまっすぐで、でも何より高貴な魂を持っていて。
人間が大好きで音楽が大好きで晴明が大好きで。

前半の『玄象~』は晴明メイン。山場は晴明VS山本さん石井さん演じる鬼との戦い。
カラオケボックスのような怪しげな(笑)照明の下、いわゆる立ち回り。
そこで一度話がしまってその後『鉄輪』。
『鉄輪』は男への恨みで生きながら鬼となろうとする女の話。
基本的に活劇なし、ひとのいい博雅の『思い』がストーリーをひっぱってゆく。
そしてラスト、自分の無力さに川縁に座り込む博雅──酒をわたしさりげなくはげます晴明。

これで計1時間半。
人の意識に残るのは、やはり博雅なのです。
後半、晴明はひたすら傍観者の立場。
(人の記憶はより最新のものに上書きされ続けるのです・・・)
ラストに近いところで、生成となった徳子を抱いて涙し、優しさだけでつつもうとする博雅に対して、児玉晴明は近くの岩からそのやりとりを見つめる。
以前のわたしなら間違いなく児玉晴明だけを見つめていたと思うのだけれども、目の前にいる浦博雅という『人間』にひきつけられて、目をうばわれる。

これはそもそも原作からこういうスタンスなわけです。
あのお話は博雅がいないと始まらない。晴明は主役なのだけれども、より博雅が明確に描かれているし、彼がいないと話が進まない。
そういったお話事体の性質と舞台構成がみごとはまって──浦、オンステージなわけです。

はたしてこれは構成の問題なのか?
ふたりが主役に見えて当たり前なのか? ──もちろんふたりが主役みたいなお話だと思う。
けれどこの公演ではどうしても博雅が1歩つきぬけてしまう。
浦さん個人の資質と雰囲気が彼をますます博雅にしてゆく。
当たり役といのはこういうのを言うわけです。
この博雅は漫画の博雅よりはより忠実に小説版の博雅でした。

これは児玉さんにとってどういう意味をもつ公演になってゆくのだろう?
初回数回の思いはそこにつきました。
ある意味不安──というか。


■児玉晴明、その解釈と成長

さて、メインイベント(のはず)、児玉晴明。
正直、児玉さんの演じる晴明はイメージと違った。これは舞台を見た人がみない抱いた印象だと思う。
わたしが原作からもっている晴明のイメージは、長身で(こればっかりは・・・)大人で皮肉屋で冷静ででもそんな自分とは対極の博雅という存在が必要な。
少なくとも、児玉晴明はこの通りではなかった。
見た目はともかく、語気が違う。自分の存在させ方・・・というか。

初日から3日ほど、とにかくこれが気になった。
はりあげるような声で基本は1本調子。変に力んだ印象。
思わずアンケートにも書いちゃいました。
5日の平日をはさんで23日、ここで「あれ、晴明が変わった?」。
言葉に情感がある。以前の違和感がだいぶ消えている。(わたしが慣れたから?)
まだどうしてもイメージとは違うのだけど、少なくとも晴明がちゃんとそこにいる印象。
正直、よかったーって感じでした。

さて見た目。白い狩衣、紫のはかま、かさねは鮮やかな青であれってどういう組み合わせなのかな。
(調べりゃわかるけど)
なんとなく2000年頭のスタジオライフファンの集いでの格好によくにている。
やっぱりお美しいです。
そういう意味では晴明のイメージはちゃんと守っていたかな。
最前列ばっかりでよく見えたのですが、化粧もばっちり。
アイメイクなんて是非伝授していただきたいほど。
ちょっと気になったのが博雅とおそろいの紋・・・

上に書いたようにラスト近く、晴明は博雅と徳子のやりとりを傍観者としてみつめます。
これに関して児玉さん自身はあるところで「ほんとうは泣きそうなほど感動している。でも晴明は泣いちゃいけないから」みたいなことを言っていました。
ああ、やっぱり──というかなんというか。
児玉さんは晴明でありながらもあそこで感動してしまうわけか。
もちろん、観客のわたしは感動してますけどね。
ただ、晴明という人間は感動で打ち震えるというよりは、そういうまっすぐな博雅という存在を意識が及ばない程度に羨ましいと感じている人間で、自分とは絶対違う、自分は絶対やらない、そういう行動だと思ってみつめているような人間では──ないでしょうか。
そういう意味で、児玉さんは晴明とは遠い人なんでしょう。

彼の当たり役というのは感情と行動の一致したタイプ。
スタジオライフ『トーマの心臓』について「トーマは死んでしまった。でもエリークは生きている。これはすごいことだと思う」といった発言ができる根っこは、エリークという役や『死の泉』のエーリヒという役を輝かせることのできる『資質』なのだと思う。
もちろん役者なら同じような役ばかりしたいとは思わないだろうし、観る側も同じような役ばかりを見たいわけではないのですが。
少々、こういったことを考えさせられてしまいました。
ちょっと手厳しかったですが、これも児玉ファンとしての愛。
アメばっかりってわけにはいきません。(笑)


■原作付の功罪

いくつか感想のなかで目に入ったのがこの晴明はあくまで児玉晴明、新しい解釈──といった意見。
それを読んだ時「そういう考えがあるのか」とある意味開眼?でした。
確かに児玉さんは自分の意思でああゆう晴明を演じているのはわかるのです。
ただ、原作を持つあらゆる映像作品・舞台などが抱えるのと同じジレンマが見え隠れしてしまいました。
陰陽師──原作を読まずに来る人がいるでしょうか?
原作が好きで来ている人も多かったでしょう。
そんな中、あたらしい解釈で挑戦する。
もちろん夢枕氏も自由にやることを望んでいると思うので作者的には問題ないかもしれないですが、原作のイメージを持っている観客に新しい晴明は必要なんだろうか?
もちろん求められるものを演じる必要はない。
なにせプロデュース公演ですからね、メインは児玉さんです。
観客に気を使う必要も原作に気を使う必要もないと思います。
それでも原作をもつゆえのあやうさが見え隠れする、そういう舞台でした。


■文章としての言葉、台詞としての言葉

もう1つ考えてしまったのが、文章としての言葉と台詞として舞台上に存在する言葉の意味の違い。
文藝作品と演劇作品の差。
奇しくも『夢見る頃を過ぎても 中島梓の文芸時評』を読んだ後だったので、特に気になってしまいました。
やはり夢枕獏の『陰陽師』のおもしろさの1つには、晴明と博雅の問答、呪についての会話でしょう。
児玉さん自身もシアターガイド誌にそういった会話のおもしろさを演じたいと言っていたわけで。
結論からいうと、そのシーンはよくできていたと思う。
ただ、文章として存在していた言葉をそのまま台詞にしたところで、本当の『音』は響かないですね。
わたしは文章としてのあのシーンが大好きで、あたまから語尾までをじっくりと味わいたい人で、けれど台詞として舞台空間に放り出されすと、どうしても同じ響きを得られない。
ちょっと中途ハンパな感じ。
まあ演劇に同じものを求めるのはそもそもおかしな話なのですが。
文章は一人立ちしているにも関わらず、あの芝居の問答は文章に寄りかかっている。
文書がないと存在しえない、あらかじめオーディエンスの知識を要求する。
知識・・・というか、コーヒーを飲む芝居をしたとして、その香りをすでに観客が体験した過去の事実をひもとかせるような追体験を覚えさせるとしましょう。そんな感じ。
でも文章を読んでおくのが前提って、生活の追体験じゃないよなあ。
それともそういう選ばれた観客だけに用意されちゃう芝居なんだろうか?
いやはや、わたしはそうであってほしくないんだけどね、個人的には。(なにせ児玉さんの今後がかかってますから)

あわせて感じたのが「あなうれしや」だったり「だましたな~」だったりの(笑)台詞。
わたしはどうしても、その台詞たちの世界観に同調できずじまいだった。
不可思議に現代語と古語と文章としての言葉が錯綜しているというか。
おどろおどろしい鬼のシーンで夢枕獏があえて「だましたな」だったり「うらめしや」だったりのような言葉を使うのは、中島梓曰くの「『言語表現』を信用していられる」からこそなんだろうし、小説上はその表現効果が世界観というお約束事と一緒に認知されてそれなりの効果がでているわけです。
ただ──それを舞台上でそのまま使うのははたしてどうなんだろう?
小説における世界観というのは作家自身が綿密に文章によって作り上げたものなのだけれど、演劇の場合たとえばセットだったり音楽だったり役者だったりして、今回の陰陽師の舞台はそこそこよいデキだったとは思うけれど「ここは平安時代で陰陽師がいて鬼もいて闇がまだ生きている世界」というお約束事を理屈では理解させても実感として理解させるには足りなかった、と思う。
そんな世界観簡単につくれたらそれこそ大変なんだけど(NODA MAPのパンドラはそういった独自の世界観をちゃんと観客に提供できてましたなあ)、それでもそういった世界に入り込めない部分がなんとも惜しかった。


■全体を通して

どうにも手厳しいことを書いてしまいましたが、全体として舞台が悪かったと言っているわけではありません。
期待をして観に行っているので注文が多いのですね。
よりよい舞台であってほしいというか。
もしかしたらシリーズということにもなるかもしれない、この陰陽師。
誉める人ばっかじゃつまんないでしょ。(笑)
児玉さんにもより大きくなっていただきたいという思いを込めて。
(てーか、本人はこんなもん読みやしねーよ)


■わたし的お笑いポイント

8回も公演を見ていればいろいろと思うところがあります。
どーしても笑っちゃって仕方なかったところも。(ゴメンなさい)

その1・W山本によるいきなりのダンス。
一瞬何が起こったのか理解できませんでした。だってあまりに唐突でそれまでの舞台の雰囲気と違うんだもん。あれはモダンダンスなの???

その2・犬
犬のぬいぐるみ。嗚呼ぬいぐるみぬいぐるみ。

その3・パントマイム
みなさんパントマイムがお上手。北島マヤを思い出しました。


■大好きシーン

その1・オープニングの博雅の笛での登場
笛の音の如何は正直わからないのですが、きれいでした。

その2・蜜虫の舞
竹内さんの舞がきれい。キラキラ舞う欠片もキレイ。でもあれ上から人が降らせてる手がみえちゃうのよ、座席によっては。

その3・藤に戻った蜜虫をひろいあげてくちづける児玉晴明
もう、セクシーといいますか、わたしをその藤の花にして~って感じです。
毎回、かじりつくように見ていました。

その4・晴明に頼みを断られてふくれる博雅、やれやれと負ける晴明
ふたりのかけあいが最高。ああいうエピソードで語るって大好き。

その5・狩衣を直す児玉晴明を嬉々としてお手伝いする浦博雅
ふたりともかわいいのです。


■日報(笑)

1999/9/15 ソワレ
   初日です。
1999/9/16 マチネ
   うおー、最前列センター。
1999/9/16 ソワレ
   この回から毛筆用の筆から筆ペンにもちかえ、児玉さんが紙にちゃんと画を書くようになる。
   もちろん内容は例の星マーク。
1999/9/17 マチネ
   覚えてない・・・
1999/9/17 ソワレ
   浦さんぼろぼろの日。
   1回台詞が飛んでからあとも常に不安定。
   冠はずるし、弓を床についたらいきなり舞台からはずすし、矢も肩からさがっちゃうし。
   観ているこっちがドキドキ。
1999/9/23 マチネ
   最前列センター。久しぶりの観劇。
   全体的にちゃんと間のある舞台になっている。晴明もちょっと違う。
1999/9/23 ソワレ
   はじめてカーテンコールに石井さんが出る。アンケート書いたおかげ?(笑)
   カーテンコール自体も大サービス。
1999/9/24 マチネ
   楽日です。最前列センター。カーテンコールで挨拶あり。

拍手

作・演出/横内謙介

ReviewWriteDate:2000/9/4
LastUpdate:2000/9/6

Cast/
山中たかシ(鈴次郎)/三木さつき(儚)
六角精児(青鬼)/岡森締(鬼シゲ)/中原三千代(鬼婆)/杉山良一(地蔵菩薩・従者)/高橋麻里(賽子姫)
茅野イサム(ゾロ政)/犬飼淳治(長治)/木下篤史(中盆)/岩本達郎(勘太)/長田典之(権太)/仲尾あずさ(お銀)
伴美奈子(お鐘)/鈴木真弓(お福)/吉良咲子(梅鶯)/山内麻未(鹿紅葉)
田中信也(妙海)/佐藤累央(三木松)
大坪直哉(助兵衛)/村内貞介(花売り)/鈴木利典(子供)
赤星明光(殿様)

2000/5/25~2000/5/28 @厚木市文化会館小ホール
2000/5/30~2000/6/9 @紀ノ國屋ホール★
2000/6/16~2000/6/18 @近鉄小劇場
2000/6/23 @長久手文化の家
2000/6/25 @扶桑文化会館

Date:
2000/6/4 14:00 H14

Note:
横内謙介が『長谷雄草紙』を下敷きに書いた戯曲。

Story:
鈴次郎は何もかもダメな人間だが賭博だけはツキの神様に愛されているために負けしらず。賭博で生活をしている。ある日、鬼との勝負での戦利品として『美女』を手に入れる。この『女』──儚(はかな)は鬼が墓場の死体を掘り起こしてその良いところだけを集めて作り上げた『女』だった。普通の女と違うのは、生まれてから100日、抱いてはいけないということ。寄せ集めの部分がくっつくのに100日かかるというのだ。その前に儚を抱いてしまうと儚は水として流れて消えてしまう──。





ヒトコトReview:

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王道のメロドラマ 受け取る側の感性しだいでしょう
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わたしはどうも和モノに弱い。
弱いというのは和物だからホロリとくる──という訳ではなくて、和物だとついつい見たい読みたいと思う、という意味の弱い、です。
だから結果として面白いと感じるかどうかは別として、他の題材より私にとって遭遇機会は多くなると言うこと。
一度扉座を見てみよう──とは思っていましたが、それが具体的にチケット買いの衝動に変わる要因というのは、今回はその和物要素。
初めての扉座生観劇──はてどちらに転ぶのか。

ちなみにこのレビュー、観てから3ヶ月も経って書いているので記憶はかなり曖昧──インプレッション重視で行きます。
詳細なんておぼえちゃいないわ。


■これぞ劇団?

さて紀ノ國屋ホール。ついてみると花魁系(あくまで『系』)の格好をしたおねーさんが各地に立って「お席わかりますか? 案内致します」をやっている。
後になってそれが役者のお迎えだとわかる。おねーさんたち、幕とともに舞台に消えたので。
最近ではスタジオライフがめっきり手抜きしている部分。
扉座では健在のよう。
そして場の空気が──なんつーか、劇団、でした。
固定ファンたちでうめ尽くされた空間。
わたしは部外者の立場ですので居心地の悪さが気になる。これも劇団っぽい。
後ろの席の若者たちは高校かな? の演劇部らしい。
どうやら先輩が出ているよう。
扉座──というのはきっと「何年後かここにいる自分」というのを演劇部諸君が連想しやすい、そういう劇団なのでしょう。
確か元をたどると厚木高校の演劇部──というやつでしたよね、確か。(記憶は曖昧)
お出迎えや観劇に臨む客層、なんだかクローズドな空間。
限りなく劇団公演。色々と感慨深く興味深い時間でありました──。


■王道ストーリーと王道オチ、いかに?

前にも断った通り、観劇したのは3ヶ月前。だいぶ記憶が遠のいているので、一番感じたことから始めます。

というのもこの王道ストーリー。そしてオチ。
ストーリーのところを読んでもらうとわかると思いますが、
「儚が人間になるのには100日かかるので、100日は鈴次郎は儚に手を出せない。手を出すと水になってしまう。さて鈴次郎はどうしたのでしょうか──?」
てなわけです。
これはもう、水になって消えるしかないですよね──人魚姫が泡となったように。
わかりきったラスト(正確に言うと水にはなりませんが)、それを予想し期待しながら見守る観客、さらにそれを予想通りに進めることで観客に快感を覚えさえながらもささやかな裏切りを施す本。
さて、どう表現してくれるのかしら──とある意味期待とある意味不安。
結論から言いますと
「あ──そうくるか。王道だなあ。ベタベタだなあ。でもこれって快感に結びつくのかなあ」
でした。

以下結末に至るまでのスートーリ及びネタばれ。


生まれたばかりの儚は子供同然。鈴次郎の欲望の対象にはなりえない。鈴次郎にとって儚が女にうつるのは、僧侶である妙海とその愛人三木松に儚を預けた後。生まれたばかりの子供であった儚が歌を詠み(ていうか何でいきなりここで歌いだすんだ、ミュージカルだったのか?? 扉座初見のわたしはここでまず仰け反る)舞を舞うしとやかな美女になってから。
恋に落ちた鈴次郎はツキの神様・賽子姫(これがまたすごい衣装なわけだ)の声が聞こえなくなってしまう。賭けは負けつづける。ツキの神様は気まぐれでその後二度と鈴次郎には微笑まない。
そんな中、賭けで負けた鈴次郎はカタに儚を女郎として売ってしまう。
100日たたないと人間になれない儚は女郎として誰かに抱かれると水になってしまう。
儚は手を出されることなく男を昇天させる『させず太夫』として名をはせるようになる。(ここでまた大々的ミュージカル カルメン風。いったい何なんだよ~)


儚は鈴次郎を恨むことなく「人間になりたい」とそのためだけに頑張るわけです。
頑張る儚は力強い。
鈴次郎を慕ってはいるがどちらかというと「この世に生を受けさせてもらえたのは、鈴さんのおかげ」的な恩人への感謝。
少なくともわたしには儚は『させず太夫』になる前からひたすらに力強い。
儚い──という名に似合わず、自分の力と努力を信じている。
このギャップは──はたして横内さんの思うままなんでしょうか? それともハズレなんでしょうか?
謎のままストーリーは続く…。


鈴次郎は儚を売りとばしてしまったことを後悔している。ただ、彼はこういう生き方しかできないのだ。
儚が人間となるまであと1日──99日目のこと。(そうです、100日ものは絶対99日目に何かあるのです。深草少将の昔から)
『させず太夫』の評判を聞いた殿様がやってくる。儚は今度こそは逃げられない──ここで水として消えてしまうのか??? というその危機に鈴次郎がはじめて動く。
鬼に頼んで儚を殿様から助け出してもらうかわりに、自分の命を差し出す約束をする。
鬼は無事儚を助け鈴次郎のもとへと連れてくる。
儚は水になってしまう危機から救われたが『愛する』鈴次郎はその為にあと1日の命。
最後に一度だけ抱いてくれ──という儚。
ただここで抱くと儚は水になってしまう。それがわかっている鈴次郎。
そして──


まあ、結局抱いてしまうわけです。
究極の選択? 予定調和? とりあえず筋を追っている観客はその結末を期待しておりますので、もちろんその通り進みます。
ラスト、儚は水となるのか?


儚は水にはならなかった。儚は花になった──。


で、ここで花吹雪、幕。て感じです。

ああ疲れた、こんなにちゃんとストーリー書いたの初めてです。
というのもここまでちゃんと書かないと以下の感想が意味不明なので。
儚は花に──花に、なったんすか。なんとも…王道。なんともロマンチック?
えんぺのレビューの多くはこのラストに感動、したそうです。
わたしは感動してないのか? と言われれば、うーん、心を動かされはしなかったという感じ。
とても良質な破綻ないストーリーでした。キレイなラスト。
これで感動の嵐! にならないのは、わたしがそういう優しい感情を根本的に信じていないからかもしれないですね。

気になったのが儚と鈴次郎との『恋』。
あえてカギカッコ付で言わせてもらいますが。
この演目はサブタイトルが『100 Days Love』なわけです。
観客であるわたしはこれをインプットして観てるわけです。
Loveはまあ色んなニュアンスがあるものなので恋とも限らないわけだけど、さんざん色んな場所で恋であるということは書いてあったんで、わたしはそう思って座っているわけです、座席に。
でも──これって、恋じゃないでしょ。
ラストで無理やり『恋』にしちゃっている感じ。(カギカッコ付!)
それまでの流れから鈴次郎はまあ確かに儚に恋してダメになってゆく感じが伝わってくるのだけれども、いかんせん、受けて立つ儚は恋してないでしょ?
少なくとも観客である私には伝わらなかった。
儚というキャラクタが伝わらなかったわけじゃない。
三木さん演じる儚はちゃんと伝わりました。
「いつも前向きで人間になることを夢見る、力強い儚」は──。
鈴次郎に対する恋なんかで人間になりたいなんて思っちゃいない。
自分のため。自分の生のため。自分で選ぶため。
こういう儚はわたしは好きなのですが、最後に自分のその想いを捨ててまで鈴次郎に抱かれるような伏線というか予感というものは──観客にはなかったんじゃないでしょうか。
(というか、観客は『そういう悲しいラブストーリー』観に来ているんだよ、という意識があるので納得してくれるかもしれませんが、それがなかったとしたら伝わったか? てこと)ラストの美しさに気を取られてちょっと騙されかかったりもしますが、うーむ、違う。
違うでしょ、そこで花になったりするような弱い子じゃないでしょ。
そこで大人しく抱かれて自分の夢を捨てられる儚じゃないでしょ。
て、思いがぐるぐる回るわけです。花吹雪とともに。

このひっかかりがこの王道ストーリーを「えええ???」というびっくり具合で幕を下ろさせてしまったわけです──わたしには。
このラストにするんだったら儚はもっと色っぽくて恋の匂いがする儚じゃなきゃおかしい。
もしこの儚のまま押し切るなら、花吹雪の中から人間になった儚が現れるぐらいじゃなきゃ、おかしい。鈴次郎は死に自分も水となるかと思ったが生を得た──これから自分の意思と力で一人で生きていくわ、ぐらいの。(笑)

でもみんな『感動の嵐』らしいんで、わたしの感性がひんまがっているのかもしれません。
お話や役者に不満があるわけじゃないので、残念。


■過度な性表現と内輪ネタについて・・・

あとひとつ気になったのが過度な性表現。
わたしが苦手だからかもしれないけど。
和尚である妙海と三木松の同性愛関係を「オカマ」的発想でひたすら強調しまくるのも、どうも観ていて気になった。
もちろん話の本筋とは直接関係なくて話のテーマとも関係はないけれど、それはきちんと伝わるけれど──突出して表現された内容というのはテーマとは関係なくすっかり脳に植え付けられてしまう。
やらんで済むことならやらんでほしい──といった感じ。
あと内輪ネタ? も。
他の観客が受けている意味がわかんない個所が多かった。
多分劇団内、劇団ファンだと通じるんだろうなあ。ライフもやりそう。
でもわたしは一見さんだからなあ。


■各キャストについて

鈴次郎役・山中さん、ダメっぷり似合いすぎ。カッコも汚なすぎ(笑)。役にあっててよかったと思う反面、こいつの恋を応援してやろうという気になれなかったのが残念。
青鬼・六角さん、すばらしい! あと鬼シゲ・岡森さんも。ストーリーは六角さん演じる青鬼の回想で進むわけですが、この語りとも独白ともつかない台詞がせつなくていい。六角さんいなかったら、妙にストーリーが軽くなっていそう。

拍手

脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ
音楽/シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナルプロダクション/ウィーン劇場協会
製作/東宝株式会社
製作協力/宝塚歌劇団

演出・訳詞/小池修一郎
東宝プロダクション監修/ウィーン劇場協会

ReviewWriteDate:2000/8/27
LastUpdate:2000/8/27

Cast/
一路真輝(Elisabeth:エリザベート)
内野聖陽(Der Tod:トート/Wキャスト 黄泉の帝王トート)/山口祐一郎(Der Tod:トート/Wキャスト 黄泉の帝王トート)=★今回は山口トート
初風諄(Zophie:ゾフィー 皇太后)/井上芳雄(Rudolf:ルドルフ 皇太子)/寺泉憲(Max:マックス エリザベートの父)/阿知波悟美(Rudovika:ルドヴィカ エリザベートの母)
伊東弘美(Esterhanzy Liechtenstein:リヒテンシュタイン伯爵夫人)/岡田静(fraulein Windisch:ヴィンデッシュ)/シルビア・グラブ(frau Wolf:マダム ヴォルフ)/今拓哉(Elemer Batthyany:エルマー)/塚田三喜夫(furst Schwarzenberg)/治田敦
井上めぐみ/梅村陽子/大川美佳/小野佳寿子/河合篤子/北林優香/栗原朗子/鈴木喬子/鈴樹葉子/長谷川美穂/平澤由美/丸山千津子/伊嬉淑/青柳勝太郎/池田伸一/石山毅
小野泰隆(ルドルフ子役)/北尾亘(ルドルフ子役)/今野桂介(ルドルフ子役)=★今回は今野ルドルフ/高橋徹(ルドルフ子役)
小原和彦/斎藤桐人/酒本朗/砂川直人/竹内耕/野沢聡/藤本隆広/松澤重雄/水野栄治/森田浩平
清水隆伍(Tod Dancer:トートダンサー)/須田英幸(Tod Dancer:トートダンサー)/鴇田芳紀(Tod Dancer:トートダンサー)/繩田晋(Tod Dancer:トートダンサー)/NIRO(Tod Dancer:トートダンサー)/東山義久(Tod Dancer:トートダンサー)/藤浦功一(Tod Dancer:トートダンサー)/吉川哲(Tod Dancer:トートダンサー)
鈴木綜馬(Franz Joseph:フランツ・ヨーゼフ オーストリア皇帝)/高嶋政宏(Luigi Lucheni:ルキーニ 暗殺者)

2000.6.6~8.30 @帝国劇場

Date:
2000/8/26 17:00 1F U37

Note:
Memo
8/19に友達づてで行って依頼はまってしまったエリザベート、第2回観劇。トートは山口さん。

Story:
19世紀のハプスブルグ帝国を舞台に、皇帝フランツ・ヨーゼフの妃、エリザベートの生涯を描く。(シアターガイドより)
エリザベートは幼い頃ブランコから落ち、意識を失ってしまう。本来ならそこで黄泉の帝王、トートにより命を奪われるはずだった。しかしトート=「死」がこの人間であるエリザベートを愛してしまったことで命を救われる。運命的な出逢い──トートはエリザベートの命を許したのだった。
その後エリザベートはもう一つの運命的な出逢いをする──オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ。エリザベートはフランツと結婚しオーストリア皇后となる。その婚礼の日、ふたたび黄泉の帝王、トートが現れエリザベートに迫る──最後のダンスはこの自分と踊るのだ、いつかエリザベートを奪いに来る、と伝えに──。



※アルファベットの役名・歌名はフォントの関係でウムラウト表記は省略しています。
※前回のレビューはこちら→エリザベート2000/8/19


ヒトコトReview:

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両トートでまるで違う、エリザの世界
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先日、友達づてで観劇したエリザベート。
いきなりはまってしまい奔走した結果、行けなくなったチケットを譲ってもらうことができ
念願の山口トートの公演です。

2回目の観劇ということもあり、全体観についても若干変わったり発見があったりしたわけですが
とりあえず1回目の観劇には手を入れず、2回目のレビューを書くことにします。
(いつも面倒くさくて何回観劇しても1回ですませていた・・・どうせその舞台ごとの感想やデキを書いているわけではなくて、全体の世界観等に言及しているようなものなので)

意見が変わった点やキャストに関する部分以外のストーリー全体に関しては第1回レビューをご参照ください。


■オペラグラスと観劇との『距離感』

今回の座席は前回とほぼ同じ列。若干近くなりましたがオペラグラス必須。
両隣はおばさん(ごめんなさい)たち。もちろんオペラグラス完備。
前回でストーリーやポイントはつかめているので、ここ見たい! という時はもう出の時からオペラグラスの準備をしていたりするのですが、
おかしいほどに両隣の方も同じタイミングでオペラグラスをのぞくのです。(笑)
ちなみにわたしのオペラグラスポイントは
-山口トート閣下
-井上ルドルフ及び、井上くんが扮する郡衆
限定でございました・・・

前回はストーリーを追うのが精一杯だったので表情まで押さえられなかったのですが
内野トートもきっと多彩な表情をなさっていたことでしょう──山口トーとの表情をのぞき込みながら思うに。
ただ、表情の見える距離での観劇でないとそういった部分は観客に伝わらないわけで
だからこその歌勝負であったりするわけです。

ああいった大劇場でやるのはある意味難しいなあと実感。
例えばトートがエリザベートを愛するようになる瞬間。
エリザベートがトートに惹かれる瞬間。
表情で演じられると、遠くてわからないんですよね──。
これはエリザベートと黄泉の帝王トートの恋! みたいなうたい文句を知った上で観劇するからよいようなものの
それがなければ果たしてそれが伝わるんでしょうか。
トートの愛は十分アクションあり歌ありでわかるんですが(種類と魂胆は別として)、
エリザベートのトートに対する感情は──正直わからない。
一路さんがいい表情して伝えてくれてるのかもしれないけど──見えないんだなあ。
だからこそわたしは前回のレビューで「エリザベートが愛しているのは自分だけ」て言いきっているわけです。
今回もやはりそう感じてしまいました。
1回目の観劇で逃したのかなと注意深く歌を聴いていたのですが
『Zwischen Traum und Wirklichekit:夢とうつつの狭間に』もやっぱり「生きたい!!!」の思いの方が強くて
死に対するあこがれみたいなものは影に隠れがち──歌ってはいますが。
その死はやっぱりトート閣下への愛じゃないし。
するとラストのあのラブシーンがとってつけたような、唐突な感じに写ってしまうのです。
トート閣下が大喜びなのは納得できてもエリザベートのトートへの愛は唐突。
むむ、いやトート閣下が『人』じゃなくて『人格』もなくて『死』でしかなければ、あれで正しいわけだけど。
素敵なラブシーンなわけですから「ついに結ばれたのね」と思いたい。
(でも何かのインタビューで「そうしたくない」って言ってたもんなあ・・・むつかしい)


■山口トート

さて、念願の山口トート。
噂によると当日券は朝の7時ぐらいには100人以上並んでいるとか。
さすがに、歌はうまい! でも今日はちょっと喉の調子が悪いかな、と思った。出だし声がひっかかってた。
例によってオペラグラスで表情チェック。
うわー、確かにカッコイイ。
堂々たる黄泉の帝王──弱さも迷いもない。
そこが内野トートと決定的に違うところでしょう。

内野トートは限りなくセンシティブ、エリザベートへの想いも切なく、人らしい弱みを吐露してしまう。
対する山口トートは結局自分が勝つことを知っている堂々とした余裕が感じられる。
内野さんは『淋しい悪魔』を演りたいって言っていたようなので、悪魔だけれども切ない想いに翻弄されている──山口トートはより『死』の存在に近い。
誰しも最後には負ける黄泉の神としての存在感。自信。
まったく違うトート。アプローチがまるで違う。
どちらも好きです。本当に個人の好みでしょう。歌はうーむ、別として。

「僕が女性だったら、こういう"死"に取り憑いてほしい、舞い降りてほしいと思うようなトートをお見せします」(レプリーク 2000年6月号)
と内野さんが言っているように、わたしは内野トートタイプが好きかも。(笑)あくまで個人的に。

山口トートは190cm近い長身でとにかく舞台映えする。
内野さんも背が低いわけじゃないのだけれど、一路さんもそこそこ大きいしどうしても低くみえていたのです。
エリザベートより頭一個分背が高いっていうのが素敵。(爆)
ブーツが長いこと長いこと。
でも確かにあんまり動かない。
内野さんがきびきび動くダンスもゆるりゆるりと動く。大人の余裕って感じ。(笑)
歌も自信マンマン。会場中に響き渡る美声はほんもの。レミゼも行かなくちゃ・・・

やっぱり井上ルドルフとの『Dir Schatten Werden Langer:闇が広がる』はセクシー。
あの振りつけがいいんですよねえ。
ただ、思ったのが日本語歌詞がどうも古臭いなあってこと。もっとシャレた訳にしてほしい・・・
同じ1音符に日本語って1音しか乗せられないわけなんで、どうしても野暮ったくなってしまうわけですが。


■白と黒

これは前回も思ったこと。
ある意味、ベタな演出だったり仕掛けだったりするわけですが、
黄泉の帝王トート、トートダンサーズの白と黒。
黄泉の帝王はチェスで人の命を消すような『死』であるわけですが
『神』なんですよね──。
死神だとか何だとか、本当は関係なくて、司る神は死も生も同じく手のひらに乗せいているはずなので。
それをべたべたまでに表現しているわけです。
黒い衣装の前半、ラストの白い衣装。
死は生であり生は死であり、全てはどちらにも転ぶもの。
エリザベートとフランツが結婚して愛を誓うのも実はトート閣下であるわけですし
どこにでも潜んでいてどこからでも何にでも変化できる。
そういったトートの存在の描き方が、ベタでありながらお気に入りです。


■カーテンコールの妙

カーテンコール、この前よりも多く出てきました。ファンも出てくるってわかるから拍手をやめない。
一路&山口だけで多分3回以上出てきたと思う。
フラッシュの光が見える──カーテンコールって写真とっていいのかな?
それでもフラッシュの数はほとんどない。
ファンの方々、リピーターが多い割にお行儀がよいのね。
ライフだったら解禁とわかったら最後、みんなカバンからカメラ出すって。そして記者会見並のフラッシュの嵐だって。(笑)

ちなみにカーテンコールでの山口さんの笑顔が最高にかわいい。
こう、下の方で手を振ってみたり、「もっと拍手せいっ!」て感じで煽ってみたり。
一路さんの紹介で大げさな振りなんかをしてしまうも相当かわいい。
結構年食ってるはずなのに素敵・・・。
そんなこんなで来年4月の再演は間違いなく通うでしょう・・・

拍手

脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ
音楽/シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナルプロダクション/ウィーン劇場協会
製作/東宝株式会社
製作協力/宝塚歌劇団

演出・訳詞/小池修一郎
東宝プロダクション監修/ウィーン劇場協会

ReviewWriteDate:2000/8/20
LastUpdate:2000/8/27

Cast/
一路真輝(Elisabeth:エリザベート)
内野聖陽(Der Tod:トート/Wキャスト 黄泉の帝王トート)=★今回は内野トート/山口祐一郎(Der Tod:トート/Wキャスト 黄泉の帝王トート)
初風諄(Zophie:ゾフィー 皇太后)/井上芳雄(Rudolf:ルドルフ 皇太子)/寺泉憲(Max:マックス エリザベートの父)/阿知波悟美(Rudovika:ルドヴィカ エリザベートの母)
伊東弘美(Esterhanzy Liechtenstein:リヒテンシュタイン伯爵夫人)/岡田静(fraulein Windisch:ヴィンデッシュ)/シルビア・グラブ(frau Wolf:マダム ヴォルフ)/今拓哉(Elemer Batthyany:エルマー)/塚田三喜夫(furst Schwarzenberg)/治田敦
井上めぐみ/梅村陽子/大川美佳/小野佳寿子/河合篤子/北林優香/栗原朗子/鈴木喬子/鈴樹葉子/長谷川美穂/平澤由美/丸山千津子/伊嬉淑/青柳勝太郎/池田伸一/石山毅
小野泰隆(ルドルフ子役)/北尾亘(ルドルフ子役)/今野桂介(ルドルフ子役)=★今回は今野ルドルフ/高橋徹(ルドルフ子役)
小原和彦/斎藤桐人/酒本朗/砂川直人/竹内耕/野沢聡/藤本隆広/松澤重雄/水野栄治/森田浩平
清水隆伍(Tod Dancer:トートダンサー)/須田英幸(Tod Dancer:トートダンサー)/鴇田芳紀(Tod Dancer:トートダンサー)/繩田晋(Tod Dancer:トートダンサー)/NIRO(Tod Dancer:トートダンサー)/東山義久(Tod Dancer:トートダンサー)/藤浦功一(Tod Dancer:トートダンサー)/吉川哲(Tod Dancer:トートダンサー)
鈴木綜馬(Franz Joseph:フランツ・ヨーゼフ オーストリア皇帝)/高嶋政宏(Luigi Lucheni:ルキーニ 暗殺者)

2000.6.6~8.30 @帝国劇場

Date:
2000/8/19 12:00 1F W23

Note:
日本での公演は宝塚以外でははじめて。日本での『エリザベート』初演は宝塚雪組で一路真輝退団公演であり、一路真輝はその時、黄泉の帝王トートを演じることで最後の男役を締めくくったのだった。今回、その一路真輝がタイトルロールであるエリザベートを演じることで注目の作品。来年の再演も決定。

Story:
19世紀のハプスブルグ帝国を舞台に、皇帝フランツ・ヨーゼフの妃、エリザベートの生涯を描く。(シアターガイドより)
エリザベートは幼い頃ブランコから落ち、意識を失ってしまう。本来ならそこで黄泉の帝王、トートにより命を奪われるはずだった。しかしトート=「死」がこの人間であるエリザベートを愛してしまったことで命を救われる。運命的な出逢い──トートはエリザベートの命を許したのだった。
その後エリザベートはもう一つの運命的な出逢いをする──オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ。エリザベートはフランツと結婚しオーストリア皇后となる。その婚礼の日、ふたたび黄泉の帝王、トートが現れエリザベートに迫る──最後のダンスはこの自分と踊るのだ、いつかエリザベートを奪いに来る、と伝えに──。



※アルファベットの役名・歌名はフォントの関係でウムラウト表記は省略しています。
※次のレビューはこちら→エリザベート2000/8/26


ヒトコトReview:

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トート(死)とエリザベート(人間)、いわゆる恋愛に落とし込まれないところがいっそ素敵?
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実はミュージカル観劇は小学生以来のわたし。
さて肌に合うものかもわからぬままいざ帝劇へ──。
今回は友人関係のおかげでA席を1600円でみせていただくことになったのでした。


■いきなりトートダンサー、やられました・・・

オープニング。噂では聞いていたトートダンサーSが登場。
姿形は準主役たるトートと同じ服装、髪(ロングの白金髪)。それがうじゃうじゃと計8名。
彼らには一切台詞がなく、あらゆることに中性的な存在として踊る踊る。(死と生/男と女…)

まー、不気味だと感じる人もいるかもしれないですが、わたしは好きです。
常にトート閣下のそばでうじゃうじゃ(笑)しているのですが(ただしダンスは相当うまい!)、
死をつかさどるのは帝王のみではなくて、人間のまわり、いたるところにふと気づくと死がいる──というのを具現化している。
時に残酷に死を宣告し、時に娼婦のように生きた人間を誘惑し、堕とす──。
宝塚版だとこれがトートをかこむ黒天使、なんだそうです。
解釈がどれぐらい違うかは宝塚版を見てみないと判らないですが。
(演出小池氏は宝塚の演出もしている、宝塚の演出家)


■内野トート

今回はWキャストであるトートは内野さんでした。
前評判をある程度知っていて覚悟はしていたのですが──やっぱり音程ずれてますねえ。
高音部が裏返るというか。
内野さんという人は文学座の舞台役者さんでストレートプレイの人。
ミュージカル初挑戦。
対する山口さんはミュージカル界のスター(なんだそうです)。
どうしたって歌でいきなり勝てるわけはないです。
わたしは今回山口トートは観られないのですが(楽日までチケット完売だそうで。前まであったのに…)
(追記2000/8/27 山口トートチケット手に入れて観てきました)
芝居をする人の視点ではよかったと思う、内野トート。
きっと初日より成長しているんでしょうし。
エリザベートとからんで、立ち去る所作。
背を向けているのだけれど思いはまだ背後のエリザベートに残す、その背中の残し方。
わたしはどきどきしちゃいましたよ。
そういう空気で芝居が出来る人。歌は・・・うーん、がんばれ。
歌は訓練次第でしょ。大人になって絶対音感がどこまでつくかは疑問ですが・・・。
賛否両論ある中、わたしは内野トート、いいんじゃない、その危なっかしさ(危うさ)含めて、と思った。
声がうらがえっても、『Der Letzte Tanz:最後のダンス』のナンバーみたいに迫られたいでしょ、女の子は。

今後ミュージカルの人になるとは思えないけど
内野さんにとってもきっといい経験になるでしょう。普通の芝居が観てみたい。
うーん、文学座かあ・・・(大学の先輩で変な人が文学座にいたんでその印象が・・・)

でも何でトートの『Ich』が『俺』なのかしら──と思った。
なんとなく『わたし』なのかなと思うんだけど。トート閣下のイメージとしては・・・
なれちゃえば『俺』の一人称も気にならなかったですけど、仮にも帝王、ちょっと変な自称じゃないか? と最初はどうも気になってしまいました。
(一応言っておくと『Ich』の意味が『俺』じゃないって言っているわけじゃないです。『I』でも『Ich』でも『我』でもどう訳すかな? この場合・・・という)


■一路エリザベート

普通、エリザベートの方から語らないか? とも思いますが失礼。トートのが色々考えさせられたし(笑)。
歌、うまいの? ──て幼い頃のエリザベートで歌う一路さん見て思ってしまった。
あれは少女時代に無理があるからかもしれないですね。
大人になったエリザベートは情感あって良かったです。
文句無しに美女。ビジュアルでの説得感あり。でも皇后としての気品、女としての強さと脆さ──みたいのは立ち姿だけで演じられている。
天海さん見たときも思ったんですが、宝塚の男役の方が女性演じるとなんともカッコいいのね。


■新星、井上ルドルフ君に注目!

こちらも前評判できいてましたよ──井上君。
若干二十歳、現役東京芸大生(声楽科)ってだけでもおねーさんがたは沸き立つわけですが
容姿も実力もそろっているわけですから。
わたしの座席からだと表情を見ようと思うとオペラグラスが必要だったのですが
井上くん出るたびにまわりが一気にオペラグラス手にするのね。(笑)
わたしもその一人でしたけど──。

普通のお芝居ってオペラグラスで一人見てると全体の動きが見えなくなっちゃうんですが
ミュージカルだから? ソロだのデュエットなどで歌い出すと
とりあえず舞台の動きはそこ集中、いきなり脇から人が出てきて話が動き出すこともないので
ゆっくりとオペラグラスで堪能できます。
歌だけとると、内野トートなんかよりうまい。
そりゃそうです、専門に勉強してるんだし。


■内野トートと井上ルドルフによる『闇が広がる』

『Dir Schatten Werden Langer:闇が広がる』のナンバーは、トートとルドルフのデュエット。
母、エリザベートに冷たくあしらわれ、全てに対して失意のルドルフのもとに、幼い頃現れ「君がよべばいつでも来る」と言っていた謎の男(=トート)が再び現れるシーン。
なんとも色っぽい、ふたりのデュエットです。
というか、私的にはエリザベートに絡んでいるときより魅力的な内野トート。
エリザベートに迫る時ってわりと言葉では「お前を奪う」、態度ではキスを迫るみたいなワンパターンな演出が多くてあんまり変わり映えがしないのですが
ルドルフとのシーンでは誘い、誘われ、迷うような機微が伝わる。

エリザベートの息子だからルドルフを堕とそうとするのか? そんなトート(=死)にそれでも魅入られてゆくのか? のルドルフ。
エリザベートは常に生に貪欲でトートに魅入られたりはしない。
だからトートが一方的に迫っている感じで色気がないのですね。

そういうエリザベートを描こうとしているそうなので正解なんでしょうが、
私的には強くて死は負けだと言い放てるエリザベートの裏には
同時にどうしてもトート(=死)に惹かれる想いがあるはずで──にもかかわらずつっぱねるような、そういう『揺れ』が見たかった。

(『Zwischen Traum und Wirklichekit:夢とうつつの狭間に』がある意味揺れなんでしょうが、トートはいっさい関係ない、思い出しもしていない気がする…)


■死と愛──エリザベートとトート

ルドルフがトートの誘いで死の世界に連れされれた後、エリザベートは初めてトートに負ける。
死んだほうがまし──という思いで。
その時トートは「まだお前は俺を愛していない。だから連れて行かない」というのですが
うわー、かっこいい。そうでなくっちゃ。

エリザベートにとってトートは最後まで愛の対象じゃないわけです。
あくまで、死。終わり。もしかしたら安らぎ。
けれどトートにとってエリザベートは愛。
エリザベートの求める死という『現象』、トートの求める愛という『感情』。
その二つが邂逅することはない──。

それがたまらなく切ないような、でもそやじゃなきゃ嘘だろう、とも思ったり。
宝塚版はふたりは愛し合って天に昇る──といった感じらしいですが、その点、東宝版は夢と愛を売っているわけじゃなくて手厳しいけど現実的で、そこがよい。
(きっと宝塚版もそれはそれでいいんだよね。ビデオで見てみよう)

(先程、「強くて死は負けだと言い放てるエリザベートの裏には同時にどうしてもトート(=死)に惹かれる想いがあるはずで──にもかかわらずつっぱねるような、そういう『揺れ』が見たかった」と書きましたが、トートに惹かれるというのはあくまで死という現象、事実、(エリザベートにとっての)逃げに惹かれる──ということ。
トートという異性(なのかな、ていうかトートはセクスレスだよなあ?)に恋愛感情で揺れる、という意味じゃないです。エリザベートは旦那であるフランツも愛しちゃいないし、トートも「いざって時はわたしを愛してくれる男(?)」ていうキープ的な意味があって、本当に愛しているのは自分自身だけ──なんじゃないでしょうか?(だから『Ich Gehor Nur Mir:私だけに』のナンバーなわけだ))

ラスト、高嶋ルキーニの刃にやぶれ、命を落とすエリザベート。
迎えに来るトート。
そう、エリザベートは、最後まで自分からトートに歩み寄らないのです。
なのにトート、嬉しそう。男って単純? なんて馬鹿なことを考えるわたし。
『Kein Kommen Ohne Gehn(RONDO):愛のテーマ~愛と死の輪舞』のナンバーです。
トートがいかにエリザベートという人間をまるで男女の愛のように愛しているかがわかるナンバー。
えーん、でもその女は君のこと愛しちゃいないよ。
「まだ俺を愛していない」てつっぱねた時と違うのは初めて自分から「受け入れた」ってこと。

それともこれは観客側の感情で、実はトートはやっぱり死という事象であり事実であり現象でしかなくて、その擬人化された姿にまんまと躍らされているのかもしれないですが──。
そうやってもてあそばれるのも観客としては嬉しい限り。

うわー、絶対再演行くぞ。通うかも。山口トートも観ないと・・・そう思わされる、不思議な空間でした。
完璧かって言われれば色々つっこめるんだけど(破綻しとるなあ)世界観にはまりました。CD買って帰っちゃったしね。
(追記2000/8/27 ウィーン版のCDも買ってしまいました! こっちのがいいわ 笑)

■味気ないラスト・・・

ラスト、『Kein Kommen Ohne Gehn(RONDO):愛のテーマ~愛と死の輪舞』が終わりエリザベートとトートが手を取り合う。
で──えええ? 緞帳が・・・緞帳が降りて来た!!!
てことは、お、終わりなの?
友達と顔を見合わせてしまいました。
だいたいお芝居ってクライマックス、ここで幕!みたいのがお客さんとの間で通じ合うもんだと思うのですが
そんな間はありませんでした。
するすると落ちてくる緞帳。あらあら二人が消えて行く・・・
カーテンコール始まったんで「あ、やっぱり終わりだったらしい」とうなずきあう。
ふたりがべたべたの関係で昇天するお話ではないのであっさりしててもいいんですが、
余韻もへったくれもなかったです。
もちょっと何とかならないんでしょうか?
少なくとも、かれこれ3時間、ふたりの行く末見てみた観客相手なんですから!!!


■その他キャストに関する感想

その他キャスト・・・高嶋ルキーニ、よかったです。歌はたまーにゆれるけれどあまり気にならない。狂言回し、本人がそう言っていましたがみごとあっち側とこっち側、時の狭間を行き来している。同じように時代を語らせちゃっていた『黒いチューリップ』のイザーク・ボクステルとは格がちゃうわ。いや、まああっちはコメディなんで単純比較はできないですが・・・。
フランツ・ヨーゼフ役の鈴木さん、いいです。ああいう旦那いそう。歌も感情が入っていていい。冷静に考えればちょっとかわいそうな夫ですよねえ、奥さんひどいわ。(笑)

拍手

作/アレキサンドル・デュマ
演出/倉田淳

ReviewWriteDate:2000/8/15
LastUpdate:2000/9/7

DukeCast/
山崎康一(コルネリウス・ファン・ド・ベルル)/及川健(ローザ・グリフィス)/鶴田浩一(コルネイユ・ド・ウイット)/青山治(ファン・ド・システンス)
MarquisCast/
曽世海児(コルネリウス・ファン・ド・ベルル)/岩崎大(ローザ・グリフィス)/高根研一(コルネイユ・ド・ウイット)/船戸慎士(ファン・ド・システンス)
オレンジ公ウィリアムWキャスト/
~2000/7/31:池内大輔(8/1より裁判官)/2000/8/1~:笠原浩夫
共通Cast/
藤原啓児(イザーク・ボクステル)/河内喜一郎(グリフィス)
楢原秀佳(ジャン・ド・ウィット)/深山洋貴(クラーケ)/河合貴哉(スペンネン)/佐野孝治(レンテ・他)/小林浩司(門番・他)/舟見和利(司法官・他)/前田倫良(兵士・群衆)/森川洋(書記・兵士)

2000.7.26~8.13 @東京芸術劇場小ホール2

Date:
2000/7/30 14:00 D8(D)
2000/7/30 19:00 I21(M PN)
2000/8/6  14:00 E9(M)
2000/8/6  19:00 C6(D)
2000/8/12 19:00 J15(D Last)

Note:
書評のページでもすでに記しているように、三銃士等で有名な大デュマの作品。
勧善懲悪の大団円、これでもかの水戸公門的ストーリーがいつのまにか快感に???

Story:
17世紀後半、オランダ。新種の黒いチューリップには多額の賞金がかかり、愛好家たちがその栽培に非常なる力を注いでいた。
青年コルネリウス・ファン・ド・ベルルも豊かな財産を費やし、研究に没頭していた。そんなベルルを妬ましげに見ていたのは、同じくチューリップ愛好家の隣人、イザーク・ボクステルである。
フランスとの戦争の暗雲が立ち込める中、フランスと通じているとされていた総理大臣ジャン・ド・ウィットを排斥し、オレンジ公ウィリアムを擁立しようという動きが沸き上がる。民衆の怒りの矛先はジャンとその兄コルネイユ・ド・ウィット(ベルルの名付け親)に向かい…。そして何者かの密告により、ベルルにも逮捕の手が伸びる。
捕らえられた牢獄で看守の娘ローザに出逢い、ふたりは恋に落ちる。愛するローザに彼の想いを全て託し、ベルルは断頭台に引かれてゆくが…。(パンフレットより)





ヒトコトReview:

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素直にコメディタッチで正解。前半もたつくものの楽しいチューリップ馬鹿のお話に満足。
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お話に関する部分はすでに書評に書き尽くしてしまっていて、今更言うことがみつからない・・・というのが本音。
ここではあくまで舞台そのものについてのみ書きましょう。

そ、それにしてもキャスト・・・
毎度スタジオライフはすごい変則技。
上、キーボード打ちながら気が狂いそうでした。単なるWキャストですらないんだもんなあ。
まあ桜の園よりマシですが。
パンフレットは驚くべき年功序列と五十音順に並んでいて
重要な役如何など関係ないので、打ちながらわけわかんなくなりました。
ちなみに上記キャストはある程度重要度の順にならべています。
ていうか、当たり前ですよね?
高校の演劇部じゃあるまいし・・・
弱肉強食よ!!!


■Dukeチーム

さてDukeチームから。今回楽日があるのでMより一回多い観劇でした。
結論から言うと、わたしはDukeが好き。
なんというか全体バランスが良かった。
やまさき氏は愛らしいチューリップ馬鹿ぶりだし、
一見か弱そうだけどいざとなれば男より強いローザはその強さが垣間見られる及川氏。
(見た目や所作は完璧女の子だったからまたすごい)
ふたりがいいバランスで劇空間にいるのが何とも心地よいのです。

このお話の面白さのひとつはやはり何より強いお姫様、なーんもしないかわいい王子様。
ふたりは末永く仲良く暮らしました──てな大団円なのですから
その意味ではみごとイメージ通り、ストーリーを背負っていました。

脇で言うと成長著しい鶴田さん。台詞が意味をなして聞こえました。台詞言ってるんじゃなくて言葉に近かった。
ちなみにやまさき&及川&鶴田はえんぺの1行レビューの評価もすごく良かった。
あそこは手厳しいからなー。(わたしもその一人だけど)
一般のお客さんもどうやらいつになく多かったようですし、彼らにとっていい舞台になったのではないでしょうか?

ところでDuke楽日、みなが心配していた事件がおこりました。
主人公コルネリウスが大事な大事な黒いチューリップの側芽を従者クラーケにふっとばされるシーン。
3つの側芽の内、1つがどこへやら飛んで行ってしまったのです。
観客はさすがリピーターが多く、みな瞬間息を飲んでいました。
クラーケが立ち去っておたおた側芽を探すコルネリウス。
みごとセットの裏に飛んでいった側芽発見。
(追記2000/9/7:やまさきさんに直接真偽を伺った方によるとどうやら予備の側芽を使ったのだそうです。気づかなかった~)
発見までに時間がかかってしまいましたが逆に会場には拍手。
平然とコルネリウスしていたやまさきさんへの拍手でした。ああおもしろかった。


■Marquisチーム

曽世ベルル、かわいすぎ。
泣き顔、困り顔、歓喜、なにもかもがこれでもかーのオーバーアクションなわけですが
それが超かわいいわけだ!
一見の価値あり、こういう彼がいると楽しいだろうなあと思った。(笑)

対する岩崎ローザ、うーむやっぱり役が重かったでしょうか?
見た目たいそうお美しいし、たしかにデカすぎますが(180CM?)ヒロイン慣れしたかなーと思ったけど。
噛む場面も多かったですし、すると頭の中の台詞のテロップが一度消えちゃうんでしょうか、素がかい間見えてしまうんです。
ローザとして存在していなくて岩崎大がいるというか。
あとわたしの中のローザはやっぱり一見大人しくても実はたくましい、ていうのなので
どうしてもそれにマッチングしなかった。
ちょっと何考えてるんだかわかんないというか。
確かに及川さんは大変小柄な方で(笑)、岩崎さんは大変大柄な方で、
だから同じことを要求するのも何なのですが
例えば袖から走りこんでくるときにドタバタ音たててしまったら、やっぱり興ざめですから。
そういうところまで役に入り込んでほしいですね。
別に女形ってわけじゃないから女の所作が大切なわけではないですが、
心構えの部分でもっとどっぷり役に入ってくれないとやっぱり男優が演じる女優なんだから、観客を上手に手玉にできないでしょ?
──というのは主観ですが。

その他高根さんは・・・うーむ、相変わらず怪我してる役なのにあっさり動くわ。
ドラキュラの時も思いましたが。
痛くないんでしょうか、気力? いや絶対違うよーとつっこみが入ります、毎度。


■Wオレンジ公

スタジオライフ、トップたる(笑)笠原さんが『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』出演のため、
7月中は昨年末に入団したばかりのフレッシュ、池内さんがオレンジ公を勤めました。
まさかの笠原さんとのW。
でも心配ご無用な若さと自信。すがすがしいっすね。
彼はきっと人気が出るでしょう。
立ち姿が目をひくというのは、すばらしい。
台詞もすごく通るし、今後、期待。
8月からは笠原さん登場──やられました。
別に笠原ファンじゃないですが、原作からしてわけわかんない変人(笑)オレンジ公を
なんとも妖しくカッコよく演じてくれました。
「太陽王ルイ!!」のくだり、毎回背筋に何か走りましたわ。
ちなみにDuke楽日の笠原さんの投げた花(何故かガーベラ)、歌舞伎ファンのわたしの友人の手元に。
「こーゆーのって欲がない人のとこに届いちゃうんだよね」
ていう彼女もうれしげ。なんつったってプラチナフラワー(?)ですから。
ちなみにそのガーベラ、オレンジでした…


■共通キャスト

やっぱりいいねえ、楢原さん。
言葉と台詞の距離がない。自分のものとして伝えられる。
この人がいる限りライフは観ようと決意。
牢獄の看守役でがらりと様子がかわるのがすごい。役者さんです。

そして…今回大変わたし的に辛かった藤原イザーク。
何がつらいってあの妙に寒くなるシャレの連発でしょう。
わたしはもともとシャレとか言われてもおもしろいと思いもしないし、
やっぱり遠く引いてしまうんですが
今回はわたし以外の観客も冷え冷えでした。
うまくいっている回もあったけど。
ああゆうモノローグのさせ方ってどうなんだろう?

河内氏の看守はあまりコメントしたくない…
ローザのことを平気で息子っていうその感覚がもう役者じゃないんじゃないか? と疑ってしまう。
桜の園の悪夢がありますので、そうとう頑張ってもらわないと難しいです。


■どうしても言いたい、あのデュマ…

ライフはどうもプロローグとエピローグが好きなようです。
が、ががが!!!
今回のあれな何なんでしょうか?
何の意味があるんでしょう?
観劇をしてない方のために説明いたしますと、このお芝居、最初と最後に作者であるデュマ(河内)とその編集者が出てくるのです。
(ちなみにその編集者は必ずその回に出ていない方の主役、やまさきOR曽世なのでちょっとおいしい)
プロローグはデュマが背を向けた状態で編集者が『黒いチューリップ』の原稿を読み始める…お芝居のはじまり、といった感じ。
エピローグはすべての物語が終結し再び編集者と椅子に座ったままのデュマ。
そしてデュマが振り返る──ああああああ! 謎のデュマメインのおっさんが現れるわけです。
失礼、実はある回で前から二列目にいたにもかかわらず笑いの火がついてひーひー笑いってさらにまわり巻き込んだのは、実は私なんです。
(でも一列目のおねーさんがいきなり吹き出して笑ったからだよー)
ありゃ、おかしーって。

あと最後の台詞。
「はたしてわたしの作品は後世まで残るんだろうか?」
あれがどうにも気になりました。
後世まで残ることを考えてモノ書いてた人なのかな?
わたしはデュマは読んだことないので何とも言えないんですが
なんとなくモノ書きっていうのはそういうことを言うもんだ的な感じがするのです。
言いかえれば脚本家がそう思っているのかなーと深読みしてしまうような。
多少色々なものを読む立場として、なんというか、ひっかかりました──


■何はともあれ大団円

まあ細かいことは言いましたが、今回は続々と主要な役者が辞めて行くという過渡期に
対外的にもいい評価を得ることができた、ライフ的にもいい芝居になったんじゃないでしょうか?
そういう意味でも大団円。
ドラキュラで感じた途方もない構成力のなさ! が多少はよくなった気がします。
(失礼な物言いですが、役者とは別のところで脚本に問題が多すぎたと思うドラキュラ)
前半は「え? まさかやっぱり耽美のつもりで演出しとるの???」と焦りましたが
結局なんとかコメディタッチで話しが進んでホットしましたわ。

念のため言っておくと、ここでいうコメディタッチというのはですね
お話事体がばかばかしいっていう意味ではないです。
コメディとコメディタッチは違いますから。
ちょっと切ないお話もからりとした明るさの中にぴりっときかせる場合も有りだと思いますし
ド・シリアスにコトを進めるもあり。
物語の本質と描き方は必ずしも一致はしませんので。
そんなわけで黒いチューリップ、思いのほかここちよく優しくいい感じでした。

拍手

作/ブラッド・フレイザー
演出/宮本亜門

ReviewWriteDate:2000/7/11
LastUpdate:2000/7/11

Cast:木村佳乃(キャンディ)/増沢望(デヴィッド)/橋本さとし(バーニー)/笠原浩夫(ロバート)/明星真由美(ジェリィ)/平宮博重(ケイン)/天野小夜子(ベニータ)
Tokyo 2000.7.1~16 @パルコ劇場
Osaka 2000.7.19~23 @シアター・ドラマシティ

Date:2000/7/9 13:00 Y13

Note:
93年に宮本亜門の演出で上演され、内容の過激さでセンセーショナルな話題を呼んだ作品を、新キャストで再演する。(シアターガイドより)
ただし96年に脚本が改訂になっている為今回の公演は改訂版の上演となる。
※ベニータ役の天野小夜子のみ初演と同じ。

Story
新刊本の書評を書く仕事をしているキャンディは、ウェイターの元恋人のデヴィッドと同居中。ゲイであることを告白した彼と親友として同居しているのだ。そんなデヴィッドは友人で妻帯者のバーニーへ想いを寄せているが、バーニーはゲイではない。キャンディは拒食症に悩みつつも、バーテンのロバート、同じジムに通うレズビアン・ジェリィに言い寄られ、つきあい出す。そんな中、エドモントンの街に連続婦女暴行事件が発生する──




ヒトコトReview:

--------------------------------------------------------------------------------
主役は木村キャンディじゃない!! 増沢デヴィッド&橋本バーニーこそが主役也!
--------------------------------------------------------------------------------

えんぺで酷評されていたので多少構えて観劇してしまいました。
感想としてはすんなりと「あれ、おもしろいじゃん」です。

ただよくよくその「おもしろい」を掘り下げて見ると確かにおかしいのかもしれません。
わたしがおもしろいと感じたポイントをかいつまんで言うと
・なんといっても増沢デヴィッド&橋本バーニー!!
・なんとなく感じさせられるどうしようもない閉塞感
てことなんです。

上記ヒット項目の解説はあとにまわすとして、先に?の部分から。


■悲しいかな、主人公キャンディに共感できない

どうしようもない女のイヤな部分を描いているわけだから、
同性であるわたしは自分を見ているようでもちろんイヤになるのは当たり前なのですが、
「ああわたしもこんなヤナ奴だよ。だからキャンディがそうしちゃうのわかるよ」
ていう思いは湧き起こりませんでした。(これを共感と呼ぶと思う)
「この子は理解できん。この子はおかしい!」
て思ってしまいました。
それが脚本と演出の狙いだったなら、ずばり引っかかっています。
でも多分、それは狙いじゃないですよね?

わたしの狭量な発想かもしれないけれど
「キャンディはこんなにデヴィッドが好きなのに報われない
(とパンフにあるからそうなんだろう。ちっともそんな感じはしなかったけど。甘い伏線はあるけどさ)。
だから拒食症にもなるし(これも頭の伏線のみだから忘れそう。ピザ食ってるぞ! て思いませんでした? まあパンフには拒食症が肩書なんでそうなんでしょう)
そんなに好きじゃない人とでも関係を持ちたいんだ。わかるよ、わかる!」
て共感させないといけないんだと思うのです、とりあえず女性の観客は。
もしかしたらわたしが模範的女性観客じゃないのでしょうか?
ただ、キャンディの描き方がちょっと全編通して甘かったような。
デヴィッド&バーニー(異端・異常)に対するキャンディ(普通)なのはわかるのですがなんとも中途ハンパに存在してしまっていました。

そもそも3人がキーの物語なのに、宣伝が木村佳乃中心だからダントツの主人公だと思って見に行くわけじゃないですか。
で、結局主人公にはなりえてなかったと思うので。
途中からうまく舞台がノって来たのでキャンディが生きてはきましたが
まあ元気なねーちゃんという意味でしかなかった。

木村嬢の演技は悪くはなかったです。
ただガツンと来るこないが役柄の問題なのか演技の問題なのかは
見当がつきませんので言及は避けます。
もし「ただただ普通のイヤなところをもった女の子」
という役を描きたかったのなら正解なのだと思います。伝わりにくいですが。

キャンディが伝わらないので
キャンディを介して伝わるべくデヴィッド&バーニーが突出してしまい
わたしの目はもうその2人だけにくぎ付けでした。

あと、バーニーの奇怪な行動の意味理由っていうのが
わかるようでわからない。
わかると感じる部分は橋本バーニーの力であって、
脚本を読んだだけだと首をひねっていたかもしれないです。
ただまあ、役者が存在してはじめて演劇だと思うのでそれでよいのかもしれませんが。

ところでキャンディの友達で自殺をしてしまった子って
キャンディにとって何だったんでしょうね?(まあ友達なのはわかりますが)
彼女の死にあれだけ反応を示しながら
その死によっては何の影響も受けていないようなキャンディ。
(叫ぶ・独白の部分はあからさまにわかりますが)
やっぱり曖昧模糊としたままです・・・


■休憩時間の入り方が切ない・・・

どうしても気になったこと。
おそらく会場の全員が思ったと思うのですが、休憩時間。
たしかに長いお芝居ではありましたが「どうしてここで!?」というシーンでした。
盛り上がりがそこで分断されてしまうのです。
で、盛り上がって叫んでいたキャストが
ちょっとは暗いが肉眼でばっちり見える舞台上を
てくてく消えてゆくのです。
あああああ、なんてことでしょう。
せめて完全な暗転にしてキャスト去らせてから休憩にしてほしかったです。


■増沢デヴィッド&橋本バーニー、素敵!!!

というか、わたし個人はもう橋本バーニーしか見ていなかった。
とにかく目を惹く圧倒的な存在感。
パルコ劇場って決して小さな箱ではないと思うのですが
めらめら気を感じました。
まあ席が近いからかもしれませんが。
ちょっとした所作等、目をひきます。
そのバーニーの相手役である増沢デヴィッドは
「滅茶苦茶やっててイヤなヤツ」をうまいこと伝えた上で
「でもとてもナイーヴ」と攻めてくるので、勝てっこありません。
ふたりが建物の上の方で語り合うシーン、絶妙です。
デヴィッドのバーニーへの思いは愛というか恋なんだけれども
バーニーのそれがはっきりわからないまでも
デヴィッドの存在が簡単なものでないことは痛いほど伝わります。


■どこまでも続く閉塞感

パンフにもあったのですが、初演の1993年より今の時代の方が閉塞感に満ちていると思います。
だからでしょうか? この
「どこにも出ていけない、どこにも出ていかない」
澱んだ空気が、否定するより先に根っこにひっかかって納得させられてしまう。
凶悪事件だったりセクシャリティの問題だったり色々とあるとは思いますが
それ以上にどうにかしたいという思いがあっても
その思いがパワーには結びつかなくてただ「そこにいる」ていう感じが
「今のわたし」には心地よかったです。


■各キャストへの感想

木村佳乃(キャンディ)
   上記の通りです。でも身体ほそいね、きれいだねー。
   わりに顔がおおきくて驚きました。
増沢望(デヴィッド)
   わがままで切なくてナイーヴで放っておけない彼。
   観客であるわたしもすっかり彼に翻弄されてしまいました。
   ふーん、俳優座なんだ。
橋本さとし(バーニー)
   元・新感線、だそうです。
   今まで彼のことを知らなかったのが恥ずかしい。テレビも見ないしなあ。
   わたしにとってのこの公演はイコール橋本さとしLOVE!です。
   わきに立っているだけでも目をそらせませんでした。
笠原浩夫(ロバート)
   スタジオライフ所属の花形。
   今回はスタジオライフの笠原さん分優先予約でチケットを取りました。
   女性とからんでいる笠原さん、はじめてみました。
   やっぱり長身だと得ですね、舞台映えします。
   初の外部出演でしたが、まあいつも通りナイーヴな彼でした。
明星真由美(ジェリィ)
   NODAMAP農業少女出るんですね。
   すっかりキャンディが食われていましたが、まあそういう役なのかもしれません。
平宮博重(ケイン) →のちの成宮寛貴である(笑)
   この公演の為のオーディションで選ばれた彼。
   いきなり変なことまでさせられてちょっと可哀想。役者って大変だね(笑)。
   どこかピュアでまっすぐでよかったです。
   めちゃめちゃ台詞噛んでましたけどねー。
天野小夜子(ベニータ)
   ゴージャス、です。
   演技は下手かなと思いましたが存在感があってよかった。
   彼女は初演でもベニータを演じたそうです。

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