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[hiroic's various Review & Daily Memo] Hiroicによる映画・ドラマ・本・芝居・四方山などに関するれびゅー
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原作/夢枕獏
脚色/桜田信介
演出/松本きょうじ

ReviewWriteDate:2000/9/30
LastUpdate:2000/11/8

Cast:
児玉信夫(安倍晴明)/浦一弘(源博雅)
竹下明子(徳子)/山本芳樹(漢多太)/石井隆(鬼)/竹内順子(蜜虫)/吉田央舟(蝉丸)/及川忍(清介)/佐野大樹(男1・高校生)/山本佳代(玉草)/毬山貴人(従者・男2)

2000.9.15~9.24 @東京芸術劇場小ホール1

Date:
2000/9/15 17:00 A2
2000/9/16 14:00 B9
2000/9/16 18:30 A17
2000/9/17 14:00 B6
2000/9/17 18:30 B7
2000/9/23 14:00 B12
2000/9/23 18:30 B4
2000/9/24 14:00 B10

Note:
元スタジオライフの役者、児玉信夫がフリーになってはじめてのプロデュース公演。
原作は夢枕獏の人気小説『陰陽師』。

Story:
夢枕獏の小説『陰陽師』から『玄象といふ琵琶 鬼のために盗らるること』と『鉄輪』の二編。
『玄象~』は晴明メイン、『鉄輪』は博雅メインの展開。


ヒトコトReview:

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浦・博雅の涙に涙するわたし
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通った日数をみていただければ、いかにこれが尋常でないかは、わかっていただけると思う。
というのも、大好きな役者児玉信夫の初プロデュース演目であり、かれこれ彼のまともな舞台(4月の『ヒマジン』は3分間の客演)は1999年8月のスタジオライフ『死の泉』以来。
それはもう気合が入っているわけです。
チケット取りも頑張って・・・運も手伝って5分で電話がかかったし、ほとんどの回が最前列という具合。
とりあえず土日で行ける公演はすべて行く・・・ということで5日間8公演、観劇してしまいました。Wキャストでもないのに・・・。


■児玉・晴明と浦・博雅のバランス・・・博雅について

そんなこんなで児玉さんを見に行ったはずのわたしでしたが
蓋を空けたら──浦さん演じる博雅に目がくぎづけ。なんてことでしょう。
もちろん事前に小説も読んで行きましたし、大学時代漫画も読んだことがあるわたし。
晴明と博雅にはイメージができています。
博雅、イメージ通りでした。
無骨でまっすぐで、でも何より高貴な魂を持っていて。
人間が大好きで音楽が大好きで晴明が大好きで。

前半の『玄象~』は晴明メイン。山場は晴明VS山本さん石井さん演じる鬼との戦い。
カラオケボックスのような怪しげな(笑)照明の下、いわゆる立ち回り。
そこで一度話がしまってその後『鉄輪』。
『鉄輪』は男への恨みで生きながら鬼となろうとする女の話。
基本的に活劇なし、ひとのいい博雅の『思い』がストーリーをひっぱってゆく。
そしてラスト、自分の無力さに川縁に座り込む博雅──酒をわたしさりげなくはげます晴明。

これで計1時間半。
人の意識に残るのは、やはり博雅なのです。
後半、晴明はひたすら傍観者の立場。
(人の記憶はより最新のものに上書きされ続けるのです・・・)
ラストに近いところで、生成となった徳子を抱いて涙し、優しさだけでつつもうとする博雅に対して、児玉晴明は近くの岩からそのやりとりを見つめる。
以前のわたしなら間違いなく児玉晴明だけを見つめていたと思うのだけれども、目の前にいる浦博雅という『人間』にひきつけられて、目をうばわれる。

これはそもそも原作からこういうスタンスなわけです。
あのお話は博雅がいないと始まらない。晴明は主役なのだけれども、より博雅が明確に描かれているし、彼がいないと話が進まない。
そういったお話事体の性質と舞台構成がみごとはまって──浦、オンステージなわけです。

はたしてこれは構成の問題なのか?
ふたりが主役に見えて当たり前なのか? ──もちろんふたりが主役みたいなお話だと思う。
けれどこの公演ではどうしても博雅が1歩つきぬけてしまう。
浦さん個人の資質と雰囲気が彼をますます博雅にしてゆく。
当たり役といのはこういうのを言うわけです。
この博雅は漫画の博雅よりはより忠実に小説版の博雅でした。

これは児玉さんにとってどういう意味をもつ公演になってゆくのだろう?
初回数回の思いはそこにつきました。
ある意味不安──というか。


■児玉晴明、その解釈と成長

さて、メインイベント(のはず)、児玉晴明。
正直、児玉さんの演じる晴明はイメージと違った。これは舞台を見た人がみない抱いた印象だと思う。
わたしが原作からもっている晴明のイメージは、長身で(こればっかりは・・・)大人で皮肉屋で冷静ででもそんな自分とは対極の博雅という存在が必要な。
少なくとも、児玉晴明はこの通りではなかった。
見た目はともかく、語気が違う。自分の存在させ方・・・というか。

初日から3日ほど、とにかくこれが気になった。
はりあげるような声で基本は1本調子。変に力んだ印象。
思わずアンケートにも書いちゃいました。
5日の平日をはさんで23日、ここで「あれ、晴明が変わった?」。
言葉に情感がある。以前の違和感がだいぶ消えている。(わたしが慣れたから?)
まだどうしてもイメージとは違うのだけど、少なくとも晴明がちゃんとそこにいる印象。
正直、よかったーって感じでした。

さて見た目。白い狩衣、紫のはかま、かさねは鮮やかな青であれってどういう組み合わせなのかな。
(調べりゃわかるけど)
なんとなく2000年頭のスタジオライフファンの集いでの格好によくにている。
やっぱりお美しいです。
そういう意味では晴明のイメージはちゃんと守っていたかな。
最前列ばっかりでよく見えたのですが、化粧もばっちり。
アイメイクなんて是非伝授していただきたいほど。
ちょっと気になったのが博雅とおそろいの紋・・・

上に書いたようにラスト近く、晴明は博雅と徳子のやりとりを傍観者としてみつめます。
これに関して児玉さん自身はあるところで「ほんとうは泣きそうなほど感動している。でも晴明は泣いちゃいけないから」みたいなことを言っていました。
ああ、やっぱり──というかなんというか。
児玉さんは晴明でありながらもあそこで感動してしまうわけか。
もちろん、観客のわたしは感動してますけどね。
ただ、晴明という人間は感動で打ち震えるというよりは、そういうまっすぐな博雅という存在を意識が及ばない程度に羨ましいと感じている人間で、自分とは絶対違う、自分は絶対やらない、そういう行動だと思ってみつめているような人間では──ないでしょうか。
そういう意味で、児玉さんは晴明とは遠い人なんでしょう。

彼の当たり役というのは感情と行動の一致したタイプ。
スタジオライフ『トーマの心臓』について「トーマは死んでしまった。でもエリークは生きている。これはすごいことだと思う」といった発言ができる根っこは、エリークという役や『死の泉』のエーリヒという役を輝かせることのできる『資質』なのだと思う。
もちろん役者なら同じような役ばかりしたいとは思わないだろうし、観る側も同じような役ばかりを見たいわけではないのですが。
少々、こういったことを考えさせられてしまいました。
ちょっと手厳しかったですが、これも児玉ファンとしての愛。
アメばっかりってわけにはいきません。(笑)


■原作付の功罪

いくつか感想のなかで目に入ったのがこの晴明はあくまで児玉晴明、新しい解釈──といった意見。
それを読んだ時「そういう考えがあるのか」とある意味開眼?でした。
確かに児玉さんは自分の意思でああゆう晴明を演じているのはわかるのです。
ただ、原作を持つあらゆる映像作品・舞台などが抱えるのと同じジレンマが見え隠れしてしまいました。
陰陽師──原作を読まずに来る人がいるでしょうか?
原作が好きで来ている人も多かったでしょう。
そんな中、あたらしい解釈で挑戦する。
もちろん夢枕氏も自由にやることを望んでいると思うので作者的には問題ないかもしれないですが、原作のイメージを持っている観客に新しい晴明は必要なんだろうか?
もちろん求められるものを演じる必要はない。
なにせプロデュース公演ですからね、メインは児玉さんです。
観客に気を使う必要も原作に気を使う必要もないと思います。
それでも原作をもつゆえのあやうさが見え隠れする、そういう舞台でした。


■文章としての言葉、台詞としての言葉

もう1つ考えてしまったのが、文章としての言葉と台詞として舞台上に存在する言葉の意味の違い。
文藝作品と演劇作品の差。
奇しくも『夢見る頃を過ぎても 中島梓の文芸時評』を読んだ後だったので、特に気になってしまいました。
やはり夢枕獏の『陰陽師』のおもしろさの1つには、晴明と博雅の問答、呪についての会話でしょう。
児玉さん自身もシアターガイド誌にそういった会話のおもしろさを演じたいと言っていたわけで。
結論からいうと、そのシーンはよくできていたと思う。
ただ、文章として存在していた言葉をそのまま台詞にしたところで、本当の『音』は響かないですね。
わたしは文章としてのあのシーンが大好きで、あたまから語尾までをじっくりと味わいたい人で、けれど台詞として舞台空間に放り出されすと、どうしても同じ響きを得られない。
ちょっと中途ハンパな感じ。
まあ演劇に同じものを求めるのはそもそもおかしな話なのですが。
文章は一人立ちしているにも関わらず、あの芝居の問答は文章に寄りかかっている。
文書がないと存在しえない、あらかじめオーディエンスの知識を要求する。
知識・・・というか、コーヒーを飲む芝居をしたとして、その香りをすでに観客が体験した過去の事実をひもとかせるような追体験を覚えさせるとしましょう。そんな感じ。
でも文章を読んでおくのが前提って、生活の追体験じゃないよなあ。
それともそういう選ばれた観客だけに用意されちゃう芝居なんだろうか?
いやはや、わたしはそうであってほしくないんだけどね、個人的には。(なにせ児玉さんの今後がかかってますから)

あわせて感じたのが「あなうれしや」だったり「だましたな~」だったりの(笑)台詞。
わたしはどうしても、その台詞たちの世界観に同調できずじまいだった。
不可思議に現代語と古語と文章としての言葉が錯綜しているというか。
おどろおどろしい鬼のシーンで夢枕獏があえて「だましたな」だったり「うらめしや」だったりのような言葉を使うのは、中島梓曰くの「『言語表現』を信用していられる」からこそなんだろうし、小説上はその表現効果が世界観というお約束事と一緒に認知されてそれなりの効果がでているわけです。
ただ──それを舞台上でそのまま使うのははたしてどうなんだろう?
小説における世界観というのは作家自身が綿密に文章によって作り上げたものなのだけれど、演劇の場合たとえばセットだったり音楽だったり役者だったりして、今回の陰陽師の舞台はそこそこよいデキだったとは思うけれど「ここは平安時代で陰陽師がいて鬼もいて闇がまだ生きている世界」というお約束事を理屈では理解させても実感として理解させるには足りなかった、と思う。
そんな世界観簡単につくれたらそれこそ大変なんだけど(NODA MAPのパンドラはそういった独自の世界観をちゃんと観客に提供できてましたなあ)、それでもそういった世界に入り込めない部分がなんとも惜しかった。


■全体を通して

どうにも手厳しいことを書いてしまいましたが、全体として舞台が悪かったと言っているわけではありません。
期待をして観に行っているので注文が多いのですね。
よりよい舞台であってほしいというか。
もしかしたらシリーズということにもなるかもしれない、この陰陽師。
誉める人ばっかじゃつまんないでしょ。(笑)
児玉さんにもより大きくなっていただきたいという思いを込めて。
(てーか、本人はこんなもん読みやしねーよ)


■わたし的お笑いポイント

8回も公演を見ていればいろいろと思うところがあります。
どーしても笑っちゃって仕方なかったところも。(ゴメンなさい)

その1・W山本によるいきなりのダンス。
一瞬何が起こったのか理解できませんでした。だってあまりに唐突でそれまでの舞台の雰囲気と違うんだもん。あれはモダンダンスなの???

その2・犬
犬のぬいぐるみ。嗚呼ぬいぐるみぬいぐるみ。

その3・パントマイム
みなさんパントマイムがお上手。北島マヤを思い出しました。


■大好きシーン

その1・オープニングの博雅の笛での登場
笛の音の如何は正直わからないのですが、きれいでした。

その2・蜜虫の舞
竹内さんの舞がきれい。キラキラ舞う欠片もキレイ。でもあれ上から人が降らせてる手がみえちゃうのよ、座席によっては。

その3・藤に戻った蜜虫をひろいあげてくちづける児玉晴明
もう、セクシーといいますか、わたしをその藤の花にして~って感じです。
毎回、かじりつくように見ていました。

その4・晴明に頼みを断られてふくれる博雅、やれやれと負ける晴明
ふたりのかけあいが最高。ああいうエピソードで語るって大好き。

その5・狩衣を直す児玉晴明を嬉々としてお手伝いする浦博雅
ふたりともかわいいのです。


■日報(笑)

1999/9/15 ソワレ
   初日です。
1999/9/16 マチネ
   うおー、最前列センター。
1999/9/16 ソワレ
   この回から毛筆用の筆から筆ペンにもちかえ、児玉さんが紙にちゃんと画を書くようになる。
   もちろん内容は例の星マーク。
1999/9/17 マチネ
   覚えてない・・・
1999/9/17 ソワレ
   浦さんぼろぼろの日。
   1回台詞が飛んでからあとも常に不安定。
   冠はずるし、弓を床についたらいきなり舞台からはずすし、矢も肩からさがっちゃうし。
   観ているこっちがドキドキ。
1999/9/23 マチネ
   最前列センター。久しぶりの観劇。
   全体的にちゃんと間のある舞台になっている。晴明もちょっと違う。
1999/9/23 ソワレ
   はじめてカーテンコールに石井さんが出る。アンケート書いたおかげ?(笑)
   カーテンコール自体も大サービス。
1999/9/24 マチネ
   楽日です。最前列センター。カーテンコールで挨拶あり。

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