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[hiroic's various Review & Daily Memo] Hiroicによる映画・ドラマ・本・芝居・四方山などに関するれびゅー
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ダイアログ・イン・ザ・ダーク

Have you seen the unseen?
目以外の何かで、ものをみようとしたことがありますか?


以前から周りの友人たちがバラバラと、そしてこぞって参加していたダイアログ・イン・ザ・ダーク
いつか自分も参加しようと思いつつ数年経ってしまっていたのですが、ふっと夏前に思い立ちサイトを探したら8月に一期一会ユニットがあると知り、思い切って参加してきました。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは暗闇の中の対話のこと。
普段視覚でものをとらえている人々が、暗闇エキスパートである視覚障害をもつアテンドの導きで、闇の中を進んでゆくというもの。
曰く、真っ暗闇のソーシャルエンターテイメントだそうだ。
 

チームは8人。結局2人遅れたので6人+アテンドでのユニットだ。
全員がその場で出会った見ず知らずという関係で、明るい場所ではほとんど言葉も交わさぬまま暗闇へ突入する。
そして一番最初の暗闇でお互いの『名前』を交換するのだ。
あだ名みたいなもの、といわれたこともあってそれぞれが苗字でなくて下の名前を名乗った。何となくそれが相応しいってことを全員が知っている感じ。
慣れない『名前』が次第に意味を持つ『名』に変わってゆくのを予め知っているかのような感覚だ。
 

さて、ここで一番最初に飲み込まれた闇について書いておきたい。
正直、この日本で──いや地球上でこんなにも完膚なき闇があるとは思わなかった。
ぱっと最後の灯りが消された瞬間、思わず瞬きせずにはいられない暗闇が襲ったのだ。
目を瞑っても開いても、まるで変わらない完全なる漆黒。
髪の一筋の明かりすら、うっすら人の輪郭を捉える影すらもない。
言葉としてそう表現される闇をわたしたちは本などで山ほど読んできていたはずだけれど、本物を見たのは初めてだった。
何も変わらないというのに、何度も瞬きして、見えない目で何かを見ようとしてしまう。
けれど本当に何も見えない。メンバーの気配はあっても姿はない。
 

闇の中でわたしに襲い掛かったのは、恐怖だった。
その場で回れ右して帰りたいと思うほどの、本能的恐怖だ。
ワクワクとか、緊張とかそいういうレベルではない。まあ、もとから自分はビビリなところがあるので全員がそれを感じたかどうかはわからないけれど、多かれ少なかれ似たような感覚は芽生えたのではないだろうか?
視覚障害者用の杖を握る手に、じんわりと汗が浮き上がる。
 

けれど元気なアテンドは「さあ行きます!」とばかりにメンバーを闇へと誘うのだ。
いや、正確に言うともう右も左も前も後ろもないから、必死で声がする方向へくっついているというレベルなのだけれども。
白い杖を片手にぎゅっと握り──これが命綱だ──空いた手で何も見えない空を掻きながら誰かの体温を探すようにして扉をくぐった。
 

一番最初にやってきたのは、多分公園。多分、というのは目で見たわけではないから実際のところよくわからないからだ。
ふわり、と土の匂いがして、どこからか水音がする。
真っ直ぐ進もうとすると足がひっかかって、おやと思うと木があったりする。
メンバーたちはお互い声を掛け合いながら「ここ段があります」「ここ木だよ」「あ、ベンチだ!」などナビゲートし合う。
最初はどうしていいかわからなかったけれど、どうも皆がいれば何とかなるらしいという希望も湧いてきた。
 

明かりの中でアテンドの説明を受けた時もそうだったけれど、この世界でははっきりと『声』にしないと何も伝わらない。
日本人的な「空気読んでくれるだろう」の世界はない。だから「大丈夫ですか?」と聞かれて小さく頷くとかではコミュニケーションは保たれず、「はい、大丈夫です」という明確な意思表示が必要となる。
なるほどこれは会社の研修につかうのも効果抜群なプログラムだろう。
 

公園を抜けて次の場所へ行く時、川を渡ったのだけれど、手すりもない丸太の橋を越えたのだが、これも「橋を渡りますよ」というアテンドの声がなければ、全員川に落っこちていただろうから、言葉というのは本当に大切なのだなと思う。
アテンドの言葉によって闇の中に『橋』が生まれるのだ。
何もない場所に橋が架かる。
それは見えていなければ存在しないも同じだった橋を、現実のものにする魔法の言葉のようだ。
 

公園の次はお祭り。
そこにはブランコがあったり(闇の中で乗ると酔うこと判明)、スーパーボール掬いがあったり、お面が売っていたりとどこか懐かしい夏の『景色』が広がっている。
後から気づいたのだけれど、どうも八月は夏用の特別会場になっていたらしいので、普段参加するとまた違った世界を体験できるのかもしれない。
 

皆で輪を作り音の鳴るボールを投げあったり、気がつけば全員の声と名前が(顔もわからないのに)聞き分けられるようになっていたり、自分が触れた何かを誰かに伝えたくて声をかけて指で触れさせたりと、いつの間にか不思議な一体感が芽生えていた。
目が見えないからこそ通じ合う対話がそこにあるのだ。
 

そして夏の終わりは干草の上に座って、線香花火の音を聴くこと。
線香花火なんてもう何年やってないだろうか。
 

最後に暗闇なカフェでお茶とお菓子。
テーブルがどこにあるのか、椅子がどこにあるのかも全部手探り。
お金を払うときも硬貨を指で触って確かめて、ああ五百円だなとか百円だなとか。
お酒もあったのだけどとりあえずコーヒーとお茶菓子と、夏のおまけだったらしいハーゲンダッツもいただいて──しかし闇の中でご飯を食べるのってほんと大変だ。
 

なにやらどこからか「花いちもんめ」の声が響いてくる。
暗闇で花いちもんめ?? と思ったらどうやらそういうユニットもやってるらしい。どうやってコミュニケーション取って花いちもんめするのだろう? すごい興味あるし、懐かしいから今度参加してみたいなあと思いつつモグモグ。
 

席について落ち着いたこともあって、メンバーからアテンド、バーテンさんへの質問ラッシュ。どうやってお料理するの? どうやってグラスに水を注ぐの? 多くの答えは「慣れが大きい」だったけれど、未知の場所や未知ものもなら当然慣れるのも大変だろうし、簡単なことではないだろう。けれど、それが当たり前なのだからさして言うこともないという意味かもしれない。
 

当たり前なことは、人によってまるで違う。普通なんて本当は何もないのと同じだ。
いつの間にかこの暗闇に慣れつつあることが、多数決における普通がさして意味を成さないことを伝えているとも言える。
とはいえ、最後の最後までわたしの闇への恐怖は完全には消えてはいなかった。
それは未知の世界だからというだけでなく、やはり視覚障害を持った人たちも心の隅で常に抱き続けている感情なのかもしれない。何かが怖くなければ、返って危険だとも言える。
 

そして90分の暗闇が終了し、光を取り戻した時は返って目が眩しいと感じるほどだった。
声と気配、体温だけだったメンバーたちが一気に明かりのもとに曝された。
 

そういえば昔から疑問だったのだ。
目が見えない世界というのは、闇なのか、真っ白なのか。
そもそも色などという概念で測れるのだろうか? と。
どちらが正解なのかを、わたしたちは知らない。途中で視力を失った人がその世界を黒で表現するのならば、やはり闇色なのだろうけれど。
 

普段こうして気持ちを文字に起すときは、大抵最初から書くことが決まっている。
いつもスパンと自分の考えが決まっていて、あとは文字の連なりに変えてゆくだけ。いくつもの考え方があって、それを理解しつつもでも自分はこっち寄りってのが明確なのだ。
けれど実は今回だけは、こうして書きながら迷いがある。
迷いというか、正反対なものが同じ重さでどんどん覆いかぶさってくる感覚があるのだ。
 

闇の中で感じた強い連帯感、声、名前の持つ意味は、光の世界では簡単に消し飛んだ。
暗闇で名乗りあったメンバーは、光の中では誰が誰かわからない状態なのだ。
声を聞いても、それが誰かという自信がない。確認が持てない。
どんなに人々の距離が闇で近づいても、目でものを捉えた瞬間、そちらが優先されるのだ。
闇の中では存在しなかった距離感が、光の中では存在する。
 

暗闇の対話には意味がある。強い意味を感じた。けれどそれは暗闇だからこそだという冷めた理性の囁きが聞こえてくる。
ではこの対話には意味がなかったのか? ──そんなはずはない。
 

闇の中では人と人の間にある距離は『見えない』。
だから距離がないと感じるのか、だから距離がなくなるのかもしれない。
人間はそこに『ある』と実感できる何かがあって初めてものを認識する。
暗闇に突如現れた金魚すくいのパイも、丸太の橋も、触れて声をかけられて初めて『現れる』。
 

闇の中でわたしが強く感じたのが、『ない』ものが『現れる』瞬間の驚きと嬉しさだった。
それは見えないだけで、ずっとそこにあるはずのものだろうから、青い鳥の話みたいなことになるのかもしれないけれど単純に楽しいと感じられる。
この感覚を誰かに伝えるだけでも、ワクワクするし、早速翌日飲んだ友達にも語ったほどだ。
 

視覚だけであるなしを見極めるなんて、大した意味もないことなのだろう。
けれど、どう頑張っても人はその呪縛から逃れられない。
これは多分視覚だけの話ではなくて、五感すべてに言えることだろう。
 

どうすれば、あの『対話』を日常に引きずり込めるのか。
コミュニケーションの大切さ、意識と努力の改変だなんて、書くことは簡単なのだけれど。
何かわかりかけているのに、目の前に霧がかかったような苛立ちが残る。
多分明確な答えなどどこにもないのだろうけど、いつかまたこの靄を晴らすために暗闇に足を踏み入れてみようか? 続きがそこに落ちているかもしれない。
何となくみながリピーターになる気持ちがわかったような気もする。


帰りがけの電車で、ふと気づく。眼底がすごい痛い。
あんなにも何も見えない暗闇で、何を見ようと思っていたのか必死に視力を使っていたのだ。
思い切って目を伏せてしまえばよかったのだけれど(そうしてたメンバーもいたみたいだけど)、それができてないあたり、まだまだ視覚という世界に囚われまくっているのだなと。
疲れた身体を地下鉄の座席で揺らしながら、しみじみと考えた。
 

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