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[hiroic's various Review & Daily Memo] Hiroicによる映画・ドラマ・本・芝居・四方山などに関するれびゅー
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図書館で『ずぼらな青木さんの冷えとり毎日( 著者: 青木美詠子 | 出版社: メディアファクトリー )』を借りる。
メディアファクトリーから出てるイラスト満載の冷えとりエッセイ。
ずぼらな青木さんの冷えとり毎日ずぼらな青木さんの冷えとり毎日
(2003/11)
青木 美詠子

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わたし、寝てるときに靴下履くのキライなんですが、この4枚?5枚?重ねの靴下ってどうなんでしょうね。
モノによっては寝ているときの靴下は血行を悪くして冷えたい策としてはダメって書いてあるし。
わたしは部屋に帰ると冬でも靴下は脱いではだし。
そこにもこもこのスリッパ履きます。
足の指の間とかが蒸れるのがダメなんですよね。
5本指ソックスとかなら大丈夫なのかな。

本にのっていたシルクの靴下などを販売しているうさぎの会のHPもチェックし資料請求しつつ
ネットでも他にないかなーと捜索。
シルクの腹巻とレッグウォーマー発見。
レッグウォーマーってどうなんでしょうね。
一時ギャルたちがサンダル+レッグウォーマーって姿で町を闊歩してましたが。
部屋の中でならこれはいいのかも。。。足指蒸れないし。

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この本、大学生ぐらいの時に読んで大爆笑した記憶があるんですが
それからウン年。もっとリアルな意味で苦笑できる年齢になってしまったわたしです。
冴子の母娘草 (集英社文庫)冴子の母娘草 (集英社文庫)
(1996/06)
氷室 冴子

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■爆笑も苦笑もありの母娘(ハハコ)像。

とにかく思い込みと固定観念と突飛な行動が面白い氷室冴子の母。
突飛ながらも気が弱く、他人まかせなところもあるこの母親像が、うちの母親とよく似ています。
サークル内政治のために延々電話で誰かの悪口を言ってたり
相続闘争で兄(わたしの伯父)と絶縁騒ぎになるほどことを荒立てたり。自分でやっときながら号泣したり。
昔っからうちの母親ってサザエさんに似てると思ってたし。てか、サザエさんキライなんだが。笑

やはり一番ウケルのが娘(氷室冴子)の実名を出して娘の結婚相談をテレビでしちゃうところでしょう!
うちの親はそこまではしないが、延々と訴えてくる内容はひじょーに似ている。笑
わたしの場合、氷室冴子のような経済基盤がないのがイタイのだが。
空港のトイレで嗚咽して
『つまり、つまりお母さんはぜんぜん、あたしを認めてなかったのね。
大学出てからこっち、十年以上のあたしの人生はいいがなかったと。そういうことなのねーっ』
て思うくだりなんて、もう、他人事とは思えませんな。近いことありましたよほんと。
ああ、親にとってはわたしの人生常に空っぽ意味無しなのね。結婚してないという一点で、みたいな。。。

娘からの絶縁状への返事の手紙の文章もまた、縷々としてある意味情感に溢れ笑っちゃう面白さ。
嗚呼確かに蜻蛉日記ですなー。みたいな。


■先達の足跡

実はこれ、図書館で借りた本なのだけど、ところどころに鉛筆による「」(カギカッコ)でチェックが入っている。
それが結構笑えるところにかかってて
『お母さんはね、あたしを心配してるんじゃないの。
心配している自分の気持ちを、わからせようとして、こういうことするの。』
とか
『見合い、結婚、出産関係の話題を口にしてはいけない……という、これまでの彼女の人生で、
ほとんど初めてといっていい禁欲をかかえこんだ母は』
とか。
前借りた人が心のメモ書きとしてペンを入れちゃったのか、はたまたこれでレポートでも書いたのか(ありえねぇ)
よくわかりませんが、他人が注目している箇所をもう一度さらうってのは、別視点で本が読めて面白い。
先達はあらまほしきことなり、ですね。笑


■今は何する人ぞ・・・

氷室冴子が本を出さなくなって下手したら10年ぐらい経っているかもしれない。
何となく、結婚して子育てとかしてんじゃないかと思ったりするのだがどうなのでしょう。
したらまた母娘の怒涛の闘いが待っていそうで、ちょっと想像するだけで面白いですが。

彼女はわたしの小学生・中学生時代のスーパーヒーロー。
小学生時分にくだらない、今思えば赤面必至な内容のファンレターを送ったことがあるのですが
3年後ぐらいにひょっこり返事が来てすごいびっくりした記憶があります。
嬉しいやら、呆れるやら。笑 小学六年生が中3になっとりますよー、もう、みたいな。
なんて丁寧な方なんだろうって子供ながらに思った記憶があります。
あんなどーしょーもない手紙(それも長文。当時から筆まめ)をちゃんと読んで、
通りいぺんとうでない返答をくれるなんて、すごい『大人』だと思います。

今は書ける環境じゃないのかもしれないけど、未完の本とか、気になるからいつの日か絶対復活してほしい・・・と
切に願うのでありました。

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今回は図書館で借りました。本屋でつかみ〜戻し〜つかみ〜ってやってでも買わなかった。

わたし1人が図書館で借りても印税も初版部数も関係ないわよねっと言い訳しながら。

実はわたしはこういうことを意識して本を買うところがあります。

中村うさぎに関しては

「この印税が中村うさぎのホスト代になりシャネル代になりボストック注射になるのね!」

と面白がりながら印税を献上しております。

あと、あまり人気がなかろうと思われる作家の場合、初版の売上げがその後の命運を決めるので

なるべく初版時に購入してあげるようにしていたのです。最近はもっぱら図書券ですけど。



■とにかく料理がうまそうだ



なんつー感想や。

浦里くんの教える料理がねえ、とにかく美味しそうなんだな。

いい加減な私すらそのめんどくさい工程を経て料理してみたいなあと思わせる。

おだしも昆布とかからいちいちとっちゃったりしてさ。

物理的にそんな暇はないのですが。

長野小説はその間、暇、ゆとりってのがポイントだと思われます。



■長野アダルティバージョン



長野小説は童話系とアダルティ系とがあるんですが、これは後者。

『碧空』系統。

うっかり童話ちっくな(例/少年アリス)ものから入ってこれ読んじゃうと驚いて憤死なのかも。

好みは真木の兄とその恋人かな。

先生は正直面倒そうだわ。笑

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レビューのページの更新が面倒くさくて(笑)ままならないので

基本日記でやっていくことにします。で。後日体裁を直して転載ということで。



ということで以前何度もAmazonでカートに入れつつも金ねーと思ってカートから削除していた

『夢を叶える夢を見た』By内館牧子。

今回は図書館で借りました。てか、もう本は図書館でってことにしたのです。

これもオピニオンリーダーさまに勤務地近辺の図書館を教えてもらったからだぞい!



■飛ぶひと・飛ばないひと



この本はドキュメントというか、レポートというか、そういった類のもので

自分の夢に対して飛んで成功したひと、飛ばなくて成功したひと、飛ばないで後悔したひとなどがテーマ。

実際のところ「エイヤ!」で飛んで成功した成功話しか世に出ない中、ある意味画期的。

インタビューっていうとついつい自分を誇張してしまう人間の性を考え、対象は基本的に内館牧子の知人友人になっています。



本中に何度も出てきますが、世の中のインタビューで『飛ぶ』ことについて語っている人はそもそも『成功者』なわけです。

その影で本当はうずたかく屍累々ってことも・・・もちろんあるわけで。

「エイヤ!」で『飛べ』ば必ず成功するわけではない。後悔しないわけではない。後悔なんてなにしたってするものです。



わたしは飛びたいと思いつつ飛べない人なので、興味深く読みましたが・・・



一般の人のアンケートは面白い。

リアルで、なんだか、わかる。

登場する人々は、どうなんでしょうね、そもそも『脚本家』内館牧子として出会った人が多いわけで

まずベースが高いわけじゃないですか。成功するベース。ベースって案外大事だと思う。



内館牧子やどうも一本気なので、たまに「んんんん?」て思う表記もあるのだが

まあそれは書き手の意見として肩耳で聞いて流しました。

基本的には、お奨めできる面白い本って感じです。

これを読んで一歩ができるか、といえば、それは違うだろうなとは思うけど。

ああ自分だけじゃない、みたいな、足場の確認にはなるはず。



■飛ぶ人びと



わたしの周囲、特に会社関係で知り合ったひとは『飛ぶ』ひとが圧倒的に多い。

だからなおさら、自分のこの重い身体が恨めしいって感じなんですが。

カメラマン、弁護士、税理士、DTP、日本茶カフェ店主、イタリアン、留学・・・

すべて同じ職場で働いていた人びとで、今はこうも違う。

すでに一歩を踏み出した者もあり、勉強中のものもあり。お店関係は店を開いたその後の展開も重要で。

みんなある日突然「実はずっと考えていたの」と言って『飛んで』しまうんです。

傾向として、やっぱ女性の方が『飛ぶ』ひとが多い。

男子の場合嫁持ちだったりするからかね。

米公認会計士とるために辞めた子は夫婦で無職勉強中だったときもあるぐらいらしいが。笑



さて、じゃあ自分がどうやって飛べるんだろう?

飛んでゆく人びとをみながら、やはり自分は考えるのである。。。

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作/高村薫
出版社/講談社文庫

ReviewWriteDate:2003/2/15
LastUpdate:2003/2/15

Story:
惚れたって言えよ―。美貌の殺し屋は言った。その名は李歐。平凡なアルバイト学生だった吉田一彰は、その日、運命に出会った。ともに二十二歳。しかし、二人が見た大陸の夢は遠く厳しく、十五年の月日が二つの魂をひきさいた。『わが手に拳銃を』を下敷にしてあらたに書き下ろす美しく壮大な青春の物語。
(「BOOK」データベースより)



ヒトコトReview:

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李歐というファンタジーに酔う
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ひさびさに「面白い!」と思って一気読みしてしまいました『李歐』。
実は書店店頭で気になって手に取っていたのが文庫化すぐぐらい。
その後古本屋で100円で入手し、しかし分厚い本なので面倒くさくて部屋に積んでいてさらに2年。
雪解け間近か? ようやっと積み上げられた本の中からひっぱり出され日の目を見たのですが、その後はもう一気に読んでしまいました。

この本は『わが手に拳銃を』を文庫化するにあたって大幅加筆してタイトルも変えた作品らしいのですが
背表紙にある文句がなんとも「気になる」って感じで、読んでみたいって思ったのでした。
実は高村薫ははじめてです。
当時はまだ中国語もやってなかったし、オリエンタルな雰囲気への憧れで中国物好きでしたが深くもなく。
今読んだからおもしろかった点というのも多々ありました。


■李歐という男

あらゆるレビュー、書評で語られているので今更わたしが書くこともないのですが、
李歐という男につきる、そんな話です。

しかし全編を通してこのタイトルロールが姿を現すのは正味数日間ぐらい。
他はほとんど一彰という日本人の視点となります。
お互いが二十二歳で思いがけず出会い、惹かれ、普通に考えれば二度と会うはずのないふたりが再会を約して別れ十五年が過ぎてゆく。
その十五年の間に一彰の中で李歐は心臓として生き、また逆も然りなんだろうと思わせる、なんとも言えぬ二人の関係の描き方がすごい。
恋なのか家族愛なのか、孤独な者同士の強烈な引力なのか。
そして何より李歐の言葉がいい。台詞の威力を感じます。読んでいてドキドキするんですもの。

実は李歐が美形美男と書かれている箇所も多少はあるものの、わたしは読んでいててんでビジュアルを想像しませんでした。
カタチとしての美醜よりも、存在感、生き方、台詞などの方がインパクトがある。ある時はスパイ、ある時は殺し屋、ある時はゲリラとなり、そして大富豪となる。名を変え場所を変え、存在を変えて転々とし、最後は桜の村を作って一彰を待つ李歐。
存在の方が、見た目より重いって感じで。
また台詞がいいんです。女子一堂へろへろになること間違いなし。
普段ハードボイルド系は全く読まない私ですが、キャラクターとストーリーに重きを置いたこの本はあっさりと世界に入り込めました。男の書くハードボイルドじゃないからかなー。
しかし言われないと高村薫が女性だとはわからない、男性っぽい文章ではあります。


■一彰という男

対する一彰を「平凡なアルバイト」と書いてしまうのは実は変で、自分の周囲の物を単に流れて消えてしまう、電車から見える風景のように見てしまうその感覚は、ちょっと現代的でありながら、やはりアウトロー。わたしの感覚に似ていると思います。
現代的──と表現したのは、実はこの小説の舞台とする年代が1970年~80代ぐらいだから。
最初それがはっきりと読みとれず、困惑しました。スタートの年が何年かよくわかんなくて。
中国の文化大革命が終わりそうになっている時期──て、いつ? みたいな。
え? オイルショック? みたいな。
つい友達と「いったい文化大革命は何年やってたんだ」と話しこんでしまいました。
現代史って、あんまちゃんと学校でやらないので、習った記憶がないのです。高校とかだと受験で使わない人は明治以後の勉強ってしないし。わたしは補講受けてやりましたが。
なんで、はっきりと文化大革命すげ~こえ~とおもったのが『さらば我が愛~覇王別姫』を観てからで、超いい加減な知識なのです。
時代は文化大革命や中国、アメリカの抗争、共産主義運動、ベルリンの壁の崩壊──と動いてゆき、そこに一彰の視点があって、という書き方がされている小説です。
一彰の最終的な職業が工場主で労働者階級そのもの(Notホワイトカラー)というところも、そういう時代を変にリアルに感じさせます。

この一彰という男もまた、つかみ所のない男で、数々の女が通り過ぎ彼に執着しても、本当の意味で相手には関わらない。いつも、考えるのは明日にしよう、みたいなところがあって、常に仮の住まい、仮の居場所にいるような浮遊感。でも女が絶えないところを見るとハンサムなんだろうっていう。
そんな一彰が唯一信じたいと思い、別れた年月を数える相手が李歐その人だというのも、うまいなあっていう感じ。
で、一彰も台詞がまたよいのだ。
ほれぼれしちゃうのだ。
「李歐、イ尓从此准成覇王的大陸ロ巴、我梦見随イ尓去(君は大陸の覇者になれ、ぼくは君についていく夢をみるから)」
とか。
うひゃあって感じです。


■全編に響く北京語の音

キャラクター、構成、すべてが面白い! て思ったのですが、同時に常に気になっていたのが
全編に散りばめられている北京語とその音。
漢字にカタカナがふってあるものもあれば、カタカナのみもあり。
効果的な場面で繰り返される「ピァオピァオリァンリァンア」などの音も、呪文のように耳に入り、心地よく『李歐』の世界に誘い出してくれる。
個人的な思いなのですが、中国語の、北京語の音ってすごくキレイで「ああ、このキレイな言葉を使いこなせるようになりたい!」としみじみ思うわけです。
で、「だったらちゃんと勉強せいやわたし!」て一人つっこみしてみたり。
アル化した音が方々に散りばめられ、北京や東北地方の空気満点です。
なんでも男のフランス語に女の中国語っていうらしいんだけど、セクシー度だかキレイ度だかが。
本文中では李歐の北京語が褒められまくっているので、是非わたしも李歐の声で絶句とか読んでほしーい!
笹倉のように居眠りできるだろうか。はたして。


■思いがけないラスト

正直、ラストは想像外のものでした。
読みながら、ラストに近づきながら「うー、絶対どっちか殺されちゃうに違いない」「再会なんてできなさそう」と戦々恐々としながら読んでいたのですが──、意外なラスト。
桜の花と、李歐の歌とで結ぶそのラストは、逆に切なく、ええもん読んだ~って感じ。
ある方も書いていましたが、『李歐』はファンタジーなんだと思います。ハードボイルドな仮面をかぶった。

櫻花(インファ YingHua)という音って、好きだなあ。
わたしの桜好きは『贋作・桜の森の満開の下』でも書いたように記憶しているのですが、もう1つ意味があったのか。というのも・・・
花、という意味はちょっと中国語で面白いのがあって『花完了』て言ったら「お金つかいすぎてすっからかん」みたいな感じで。いつも『花完了』なわたし・・・。

元の『わが手に拳銃を』も手に入れたので読んでみます。
しかし高村薫って必ず単行本を大幅改稿して文庫にしているらしく、中身違う別バージョン扱いでどっちも読まないとあからんらしい。嬉しいような、懐寒いような。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/作品社

ReviewWriteDate:2002/5/6
LastUpdate:2002/5/6

Notes:
長野まゆみによる懐かしおもちゃエッセイ。
Stoy:
おもちゃ 古裂(こぎれ)コレクション
愛おしきものたち。幸せの情景。
懐かしさにみちたエッセイ集。
(帯より)

ヒトコトReview:

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思い出す子ども時代、なつかしのおもちゃたち
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■記憶の鍵は

──なんなんでしょう。
匂いで過去を思い出すとも言うし、情景なのかもしれない。
ごくごくたまに、頭の引出しの『どっか』からころんと出てくる記憶があって「人間の記憶ってばすごい」と感心してしまうのですが
このエッセイはそのきっかけにあふれています。


■愛しき蒐集物たち

ずいぶん長らくBookReviewをさぼっていたのですが、今回重い腰を上げたのはエッセイ中にあった懐かしの蒐集物たちに驚いたから!
そうそう、集めた集めた!!!!
がががーっと記憶がフラッシュバック。まるで自分が小学生まで戻ったような異様な感覚にとらわれたのです。
以下引用です・・・
飽きやすい子どものことだから、蒐集する品目は目まぐるしく変わった。記憶をたどって思いだすなら、a.消しゴム b.鉛筆 c.折り紙 d.千代紙 e.紙石鹸 f.紙ナプキン g.花紙 h.メモ帳 i.シールなどである。


a.消しゴム──流行った流行った。わたしの時は爆発的に練り消しが流行りました。
高校の美術でそれ用に買うようなちゃんとした練り消しゴムではなく、色がついていたり匂いがするようなヤツ。
普通の消しゴムを砕いたりカスを集めたりして糊と練って自作練り消し作りも流行っていました。
これは単に親がホイホイ練り消しを買ってくれないために流行った代用品なんで、もちろん鉛筆は消えません。(笑)

b.鉛筆──は、流行ったようないないような。記憶にあまりないです。

c.折り紙──爆発的に流行りました。長野まゆみも書いているように、MDサイズの小さい折り紙。
千代紙系ではなく、いろんな柄物が流行って、トレードしまくっていました。今でも一部残っています。使わないのに集めるんだよねえ。それが楽しくて。

d.千代紙──これはわたしは折り紙の中に入るかな。

e.紙石鹸──懐かしい!!!
今の子は知らないんじゃないかなー? ちゃんと手を洗うような物じゃないんだけど、超薄い石鹸。
サンリオ商品とかであって、誕生日会とかのおかえしにもらった記憶が。

f.紙ナプキン──長野まゆみ曰く「花もようやチェック柄で、使用目的はとくになし。見せ合ったり、交換したりするだけのもの」。
紙ナプキン流行りましたー?

g.花紙──「ポッケットティッシュが登場する以前の懐中品」だそうですが、こいつもわたしは流行った記憶ナシ。

h.メモ帳──「ミシン線入りで一枚の紙が三つくらいに分割できる。実用性はほとんどなく~」なるほど、あった気がする。漫画雑誌の付録とかにあったような。

i.シール──これは今でも流行っているでしょうね。うちらの頃には今ほど立派なもんじゃありませんでしたが。

しっかし、どれもこれも女の子たちは競って蒐集し、交換し、自慢し、親にねだったり買ってもらえなくて悔しい思いをしたり──そういう小学校の教室の匂いがせまってくる、なつかしの品々です。
言われてみれば、わりとちゃんと覚えていたりして、本当に懐かしい。
あと、わたしの学校はふでばこが流行りました。「何面あるか」を競うんですが、ありませんでした?
流行り物って地域限定のものもあるので、友達と小学校時代のことを話すと面白いですよね。


■わたしの記憶は

一年ほど前、打ち所がよかった為に結果なにごともなかった交通事故にあったんですね。わたし。
実はその後、ある一定時期に恐ろしくいろんなことを思い出したのです。
いろんなこと、と言ってもどれもささいな「あ、あの時こんな花が咲いててこうしたっけ」とか「こういう気持ちでこう言ったんだっけ」みたいなささいなことで、どれも小学校時代のどーでもいい記憶でした。
頭打ったからでしょうか?(笑)
人は、ちゃんと、覚えているんですね。記憶──というか、情景そのものの感覚、として。
思い出す時の面白さは、その、感覚でした。事実を思い出すだけじゃなく、感情を伴って思い出すんです。
「なになに、わたしひょっとして死期でも近いの?」と思ったほど、リアルに細かいことを思い出した一時でした。
今は全然、そういう感覚がないので、あの一時、事故後3~4ヶ月後ぐらいの一ヶ月ぐらいでしょうか。
色々過敏になっていたんでしょうね。
あの、泉の底をのぞいていたらふっと蓮の花が浮かんできちゃうような、変に唐突でリアルな感じ。(変な喩えですんません)
あ、って声が出そうなほどふいに現れる感覚。
人間って、面白いな──としみじみ。記憶ってすごいなあ。
と、余談でありました(笑)。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/河出書房新社

ReviewWriteDate:2001/5/5
LastUpdate:2001/5/5

Story:
銀河鉄道は何処へ走る。賢治と妹、死者の魂をのせて・・・
妹としの魂の在り処を求め、夜汽車に乗り込んだ、賢治の心の旅を、降霊感覚で描く佳作
(帯より)


ヒトコトReview:

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めぐる死者と生者の旅
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宮沢賢治をモチーフとした銀河?鉄道モノという意味では『賢治先生』と通ずるものがありますが、
こちらにはジョバンナもカムパネッラも登場しません。
ただ、やはり世界観を同じくして読むと倍楽しい? かな?


■銀河鉄道とその語り部たち

近刊の『文藝』での長野まゆみ特集にもありましたが、うーん確かに系図とかあるとわかりやすかったですね。
頭がこんがらがってしまいました。
でも同時に、本当にその血筋を正しく追う必要があるのかと言えば恐らく"No"で、
家とか血筋とか実際の生の肉体に込めちゃうとよけい意味がなくなるような、そんなお話でもあります。

ストーリーは主に章のはじめのモノローグと、賢治の乗る夜行列車での出来事で進んでゆきます。
夜行列車で乗り合わせてしまった少年と青年の謎を、彼らの何代目か前の死者たちがモノローグとして語ってゆくわけです。
少年と青年の奇妙、危うい関係が長野チックです。
過去と現在と、もしかしたら現在は過去なのかも未来なのかも知れないという時の混濁の中で
ふたりの存在が賢治以上にひかるわけです。
だからとりあえず、理論立てて理解せんでもよいかな~というか。
理論だててしまうと、つまらないモノになってしまいそうな予感がします。
ただまあ、ラスト近くに俊夫が少年の中に現れるのが、唐突ですが。
今まで呪われた? 一家の話だったのに急に賢治の知人につながっちゃうわけ? みたいな。
まあ、あんまり深いことを考えてはいけません・・・笑。

同時収録の『夏日和』は『銀河電燈譜』のアンサーストーリーにあたるもののようです。
賢治と知人である川島、その息子俊夫、俊夫の従兄弟である壮介。
彼らが現実(?)の東京をゆききします。
ただし、それを深くアンサーストーリーと考えてしまうとますます混乱するので、わたしは全く別物と思って消化してしまいました。
壮介の扱いは『銀河電燈譜』での方がお好みです。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/作品社

ReviewWriteDate:2001/2/1
LastUpdate:2001/2/1

Note:
小説・エッセイ等多数のおたのしみ本。



ヒトコトReview:

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年末年始、おたのしみ読本
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まあ別に年末年始じゃなくてもいいんですが。
ちょうど昨年末に発売された最新刊、ヒマでだらだらした年末年始になんとなくわくわくする時間をいただけたので。ごちそうさまです。(笑)

『絶対安全少年』は長野まゆみ自身が「おたのしみ本」と言っていたように
小説2本、豆蔵辞典、エッセイ各種、詩に関するエッセイ等と盛りだくさん。


■2本の小説について

小説はうーん、まあいつもの長野節。
正直『遊郭の少年』は何故猫? やっぱり猫? 何故遊郭? うーんなんだかばらばらした小説。
といった感じ。
雰囲気はあるけどわけわかんない。
別に理屈で解決してもうらう必要もないんですがね・・・なんとなく散漫。
猫──というのは長野まゆみ常連の(笑)モチーフなのですが、猫であるという伏線ばりばりで読者がそれを知った上で読みすすめるタイプが多いのに、今回は猫と気づかなかったわたし。
首に鈴ついてるって言われたらいきなり「猫だわ!」と気づかないといけないのかな。
遊郭という場をつかって性的な表現をするにもちょっと中途ハンパで世界に入れなかったし
突然「ぼくは忘れていたのだ」形式のパターンってちょっと好きじゃないのよね。
いわば夢オチぐらい、肩透かしじゃない?

『雪の落とし子』は素直にきれいなお話。


■必読! 『特製《豆蔵辞典》』

なんといってもこの『絶対安全少年』の一番のおたのしみは『特製《豆蔵辞典》』でしょう。
これは百科辞典のようなもの。
『ぼく』が兄である『麻旗』や『由旗』の助言を受けながら、友人『岡村くん』とともにこの『特製《豆蔵辞典》』を作成しているのだ。
ぼくの主観で選ばれた言葉たちが、さまざまな例文とぼくからのコメントでつづられる。
このコメントがなんともいい。ここだけでぼくの世界がひろがり、物語として成立してしまう。
兄とぼくの関係。
友人とぼくの関係。
もっともっと読みたいと思ってしまう。
特に「わ」の項目にある『忘れな草』に関するコメントがいい。『ぼく』は以下のように始めるのだ。

ぼくがこの項目に忘れな草を書いたのは、心惹かれるワ<わ>行の語をほかに思いつかなかったからにすぎない。だいたい、死に際に「私を忘れないで」などと云う人間を、ぼくは好きになれない。身勝手すぎる。「きみを忘れない」と云うのなら、まだしもだけどね。でも、ぼくが死ぬ立場だったら、断じて忘れてもらおう。「なにもかもすべて忘れてくれ」と云う。

『ぼく』と『岡村くん』、ふたりの考え方の違いと同時にお互いを大切に思っていることが伝わります。その後の問答?は自分でお読みください。
ちなみにわたしは平気で友達のことも忘れてしまう人なので、他人も自分をわすれて当たり前だと思っているし
だからこそ大切な人々の常に「今」であれるよう、多少の努力はしないとね・・・と思っております。
その努力をね、一般人以上にしていない自覚があるからなんだけど。


■『読み違え「少年」詩歌集』

『読み違え「少年」詩歌集』は長野まゆみが好きな詩人俳人の詩歌をピックアップして解説したもの。
じつは詩とか苦手なわたしでも「お、この作家読んでみたい」と思ってしまいました。
ただし、興味を覚えるのはその詩歌じゃなくて、作者にまつわるエピソードだったりするんですが。
詩って相当のめりながら読まないとナンにも伝わってこない妙な文章ですよね。
もう、感受性全開じゃないと(わたしには)なんも届かない。
むかしむかし、『地獄の季節』で発狂して読むのやめました。わけわかんないんだもん。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/光文社

ReviewWriteDate:2000/12/23
LastUpdate:2000/12/23

Story:
岬はずれの小さな燈台。
片脚の海猫は飛び立ち、船は切りの中に浮かぶ──。
秋から冬へ、少年たちに訪れる静かな奇跡(ファンタジー)。
(帯より)




ヒトコトReview:

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夜の風景の似合う、燈台と死者たち
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■海猫宿舎と子供たち

なにより、タイトルが好き。
のんびりしていそうなタイトルながら、その宿舎に暮らす子供たちは身体が弱く、友達とうまくやることすらできない不器用さ。
一見残酷な内容をさらりと登場人物にしてしまうところが、大人だなあ。。。

宿舎は海に近く、海猫たちも沢山生息している。
そこに新しい先生、青い目をもったパスカル先生が現れる。
彼のそばには同じ青い目をしたおじいさん、イヴン船長の姿もある。
ただし、彼の姿が見えるのはユンクとネリだけ──。

お話はほとんどが夜の風景と一緒に展開する。
もちろん日の光の注ぐ場面もあるのだけれど、印象は夜。
その夜の世界で子供たちはすでにこの世にいない人々と遭遇する。
自分の悩みを大人に打ち明ける。
昼間は本当は仲良くしたい友達たちと喧嘩をしてしまう。
夜の素直な思いを昼間にも伝えてゆける瞬間がこのお話の一番のヤマなのだと思う。


■パスカル先生と自分

大人──のはずのパスカル先生。
子供から見たら完璧なはずの『大人』の彼がまずはじめに悩みをさらけだす。
弱い自分を知っていて、その自分を支えるためにすでに死んでいる祖父、イヴン船長がそばにいてくれることも、実は知っている。
大人が完璧だと思っていた子供時代はとうにすぎて、だからこそ大人って別に子供じゃん、と思えるわたしは実はこのパスカル先生に一番感情移入してしまいました。
大人を『理解しがたい存在』として隔絶することの多い長野作品の中で、大人であっても何もかわらない──という視点が見れたのが個人的に嬉しかったです。
うーん、そしてイヴン船長のマフィン、食べたくなりました(笑)。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/大和書房

ReviewWriteDate:2000/12/23
LastUpdate:2000/12/23

Story:
ぼくは生意気でユウウツな中学三年生だ。
この夏、十五歳になる──。
繊細にして傲慢、冷静にして感情的な少年たちの輝かしい季節を描く、とっておきの成長物語。
(帯より)




ヒトコトReview:

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長野的、少年の動向変化?
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■長野まゆみと少年

本の雰囲気は、系統として『白昼堂々』シリーズタイプ。
文も平易で装飾過多ではない、ストレートなもの。
けれど扱う内容はもしかしたら長野まゆみ的深みなのかしら──。

主人公の『ぼく』は小さい頃まで自分を女だと思って育ってきた。
だから未だに自分はそれを混同してしまう。
『ぼく』をこうしてしまった双子の兄姉に反発しながらも自分をひたかくしにして優等生を演じている。
そこに都会から転校生がやってきた──。
と、長野まゆみによくあるパターン。
けれど今回決定的に違うなと思ったのが主人公の意識ではないか? ──読後の印象はそれにつきる。

『白昼堂々』の主人公といっそ同じ性嗜好(男しかダメ)なんだけれど、『ぼく』はそれを隠すべきものとして『自覚』して暮らしている。
それは開き直りではなく、確かに後ろめたさを抱えながら生きているのだ。
『白昼堂々』がそうでないというわけではないが、作者自身がそれを正面きって『うしろめたく』描いているというのが、変化だな──と思ったのだ。

長野まゆみが本質的な意味で少女も女も描かない理由は深いのだろうけれど、それをひとごとのように描いてしまっている『新世界』などとは、趣を異とする。
別段他作品と際立って面白いというわけではないけれど、その点だけ、正直意外に思えたのでした。


■やはりおいしい、兄の存在

今回、やっぱりおいしかったのが兄・十(みつる)の存在。
どうしてこうも兄というのは大きく優しいのでしょう?
姉・百(もも)は太刀打ちできないわ。
カッコよすぎます。
転校生・七月(なつき)との恋愛感情ともつかない思いよりも、兄の存在が勝ってるよね、絶対。

それにしても、幼い頃に見知らぬオジサンに──というオチは、パターンすぎて悲しいわ。
そういう犯罪が多くなっている昨今だからよけいに。
それだけに理由をもたせてお話が解決されちゃうのが、どうも物足りなかったといいますか。
違和感が残ったのは確かです。

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