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[hiroic's various Review & Daily Memo] Hiroicによる映画・ドラマ・本・芝居・四方山などに関するれびゅー
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作/長野まゆみ
出版社/河出文庫

ReviewWriteDate:2000/12/23
LastUpdate:2000/12/23

Note:
短編集。『星降る夜のクリスマス』『仔犬の気持ち』『少年アリス 三月うさぎのお茶会へ行く』『クリスマスの朝に』

Story:
「ほら、天使が降りてくる。」──フラノがつぶやくと、ミランには何も見えなかったけれど、仔犬のタッシュが吠えたて、天使が羽根を震わせたように雪が降り始めた。降誕祭の夜空に紡がれる、素敵な物語を集めた夢のお話集。
(背表紙より)




ヒトコトReview:

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子供時代を思い出すあったかなクリスマス本
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■仔犬タッシュ

クリスマス関係の内容が多い中、実は一番好みだったのが『仔犬の気持ち』。
パパがもらってきてくれた仔犬、タッシュ。
そして『ぼく』と『兄』。
両親というあたたかいものと、兄と自分、そして新しい家族となるタッシュ。
その様子が『ぼく』の視点で描かれていて
「くーーー、かわいい」
て感じでした。
かわいい、のは子供でも犬でもなくて──その空気。
誰もがやさしくて少し意地っ張りで、こういう空気を自分もかいでいたことがあったはず──という懐かしさのようなもの。
パパのマフラーの逸話がなんとも好きです。

結局ラストでタッシュは元の家に自力で帰ってしまうんですが。。。
で、そのタッシュ、よく見るとその前の短編、『星降る夜のクリスマス』でミランがつれている犬。
はたしてミランが『ぼく』なのか?
それともタッシュが戻った家の子供がミランなのか?
そういうことまで楽しい想像がふくらみます。


■特別な一日

長野作品の中でクリスマスはかなり頻出度が高いイベント。
雪。教会。鐘。子供たち。大人。そして天使。
『夜のプロキシオン』もとにかく大好きなのですが『星降る夜のクリスマス』も同じ空気をまとっています。
フラノは天使なのかな? ──と思わせる。
『クリスマスの朝に』はめずらしく少女が主役。

そういえば、クリスマスって本当に楽しみなイベントだったなあ。
幼稚園がキリスト教で、クリスマス会のイベントはイエス生誕の劇でした。
宿屋がやりたかったのに天子役。(宿屋も天使も所詮、群衆)
子供心にとても神聖な日でした。。。

拍手

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作/森茉莉
出版社/講談社文芸文庫

ReviewWriteDate:2000/12/3
LastUpdate:2000/12/3

Note:
明治の文豪、森鴎外の長女、小説家・森茉莉のエッセイ。
主に鴎外に関する思い出(結婚前の思い出)。

Story:
東京・駒込千駄木観潮楼。
森鴎外の長女として生まれた著者は、父追う街の愛を一身に受けて成長する。日常の中の小さな出来事を題材にして鴎外に携わる様々なこと、母のことなどを、半生の思い出を繊細鋭利な筆致で見事に記す回想記。「父の帽子」「『半日』」「明舟町の家」「父と私」「晩年の母」「夢」ほか十六篇収録。日本エッセイストクラブ賞受賞。
(カバー背表紙より)



ヒトコトReview:

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パッパ森鴎外の存在に満ちた人生
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■森鴎外と子供たち

実は、森茉莉の小説は読んだことがない。
名前は昔から知っているものの、耽美で流麗な小説世界は恐らくわたしには合わないだろうと思ってきたので。
(長野まゆみが好きといいつつ、実は装飾過多な文章が苦手なのだ)
今回森茉莉の、それもエッセイを読もうと思ったのは夏に行った津和野への旅でのこと。
ガラガラの森鴎外記念館にてじっくり見せてもらた森鴎外の生涯と
彼の送った子供たちへの手紙の展示に興味を持った。
自らを『パッパ』と名乗る明治の父。
全文カタカナで記されたその手紙は子供への愛情に満ちあふれていた。
子供が読むことを前提に書かれた大きな墨の文字、ユーモア溢れた文章。
前妻の産んだ兄・於菟(おと)は別としても、茉莉(まり)、弟・不律(ふりつ/フリッツ)、妹・杏奴(あんぬ)、弟・類(るい)、茉莉の息子・爵(ジャック)と鴎外の名づけた子供、孫の名前はいずれもドイツ名でもある。
ドイツかぶれした近代的な父、森鴎外の姿を垣間見たい。
そういう森茉莉ファンには申し訳ない理由での森茉莉初挑戦だったわけです。


■幼少期の世界

森茉莉の中で、幼少期の百日咳の思い出はその後の彼女に確実になんらかの意味をもたらしている。
五歳の折かかった百日咳は弟不律の幼い命を奪い、茉莉の命を奪おうとした。
これ以上子供を苦しめたくない、もう望みがないのならいっそ──という注射による安楽死の瀬戸際に(『注射』)、母方の祖父によって劇的に救われ、また奇跡的に病気から回復した逸話。
果たして当時こういった安楽死がポピュラーであったのかはわからないが、弟類は死に茉莉は助かったというその攻防(類は安楽死ではなく自然死だが)は幼い子供に深い何かを残したはずで、森茉莉の幼少期を考えるときに忘れられない一節になっている。

森茉莉の幼少期の思い出は『パッパ』森鴎外からの溺愛と悪妻と噂された母、自分を取り囲む大人たち、自然、料理、生と死。
それらが今ここで映像を見ているようにリアルに描かれる。
どうしてそんな幼い頃のことを鮮明に覚えていられるのだろう?
幼少の頃の食卓の描写は見事。
自ら「食いしん坊」であることを自負しているとはいえ、すごい記憶力である。
仮に残っているのが記憶ではなく『イメージ』だけだとしても、それをここまで具現化できてしまうのが森茉莉の文章のすごさだと思う。
記憶があるかないかではなく。


■詩のある父、詩を持たない夫

茉莉と父鴎外との関係は時として恋人のような精神関係である。
鴎外によって「おまりは上等」といって育てられた茉莉は


私は結婚をして幾らか経った時、夫に、言った。
《あたしはパッパとの想い出を綺麗な筐に入れて、鍵をかけて持っているわ》と。
と記している。(『刺』)
彼女は無意識のうちに、結婚し婚家に移ることがなにか不安に満ちた、今までの居場所ではないと感じている。父は詩を持っていた。だが夫にはそれがない。茉莉は夫に期待していない。茉莉にとっての恋人はこの時点では揺るぎ無く、父・鴎外なのである。
少し気になるのがもう一人の娘、杏奴の視点。
茉莉は決して大袈裟ではなくその愛を一身に受けて育ったという。
この親子とも恋人ともつかない関係がどう存在しえたのかを読んでみたいですね。
(杏奴氏も随筆家)
なにはともあれ、この『刺』はかなり痛い。
女性特有の痛さかもしれませんが、必読だと思います。


■耽美的文章世界?

恐れていた美文の嵐(笑)──は基本的にはありませんでした。
ただし漢字の使い方、その読み方等は大変凝っていて、長野まゆみチック。
そういう文章が好きな人にはたまらない媚薬のはず。
ただし『明舟町の家』で多用される『森茉莉的末尾表現』には少々辟易してしまいましたが。昔のわたしが好んで表現していそうな文末で。(笑)
『夢』は、思索の森に突入しすぎていて、小説として受け取ることができなかった。
モチーフは興味深いが、あの文章は──わたしには読めません。(ギブアップ宣言)
もっと短編に詰めてほしかった・・・。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/河出文庫

ReviewWriteDate:2000/10/1
LastUpdate:2000/10/1

Story:
<「兄さん、あの署名、……あれはどう云う意味。自分の名前を記せばいヽのに。」>緑に深く埋もれた祖父の家で、ひとり療養する兄の夏織。気怠い夏の空気の中、弟の柊一は夏織の秘密の"隠れ処"を見つけ出そうと川を遡っていった……。(裏表紙より)


ヒトコトReview:

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ひと夏・兄弟・秘密──という黄金パターン
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■長野まゆみの季節は夏

長野まゆみに季節をあてはめると、ファンはみな夏をあげると思う。
それは海水浴場だったりラジオ体操のような夏ではなくて、死の匂い、腐敗の臭いのするそういう夏。
この『カムパネルラ』も一連の長野作品に類似作品の多いパターン。
夏・兄弟・秘密・死の予感。

実は先に読んだ『賢治先生』に感動していた矢先だったので、てっきり関連書かと思っていた。
ふたをあけたら『カムパネルラ』というのは言葉として使われているだけで、続編じゃありませんでした。(笑)


■大人の不在

この本を読みながらまたしみじみ思ったのが長野作品での『大人の不在』。
たまに大人も出てきますが、いわゆる大人なのかしら、あれは(『サマーキャンプ』や『新世界』を思いうかべながら・・・)。
この作品でも祖父は存在しているものの、ヒトコトも発言はしない。
作中、常に眠っている。
これは意味ありげでよいわ。(笑)
にもかかわらず少年たちはちゃんと昼にはご飯を食べている。
お手伝いさんの描写はないんだけど、ご飯はちゃんと出てくるわけだ。
そしてそれで十分世界が回っている。
この何とも云えぬ大人の不在。
他の作品以上に気になってしまいました。
だいたい、どうして子供がひとりで森の中を歩きながら祖父の家に行くんだろう。
もちろんそれが世界観なので問題ないのですが、この徹底的な大人を排除した世界、興味があります。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/河出書房新社

ReviewWriteDate:2000/10/1
LastUpdate:2000/10/1

Note:
長野流、銀河鉄道の夜。

Story:
賢治はいつの間にか列車に乗っている。どこから来て、どこへ行くのかもわからない。
そんな賢治の元に、ふたりの少年──カムパネッラとジョヴァンナ──が現れる。


ヒトコトReview:

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せつないまでの夜の闇──じっくり味わいたい銀河鉄道の夜
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■賢治先生

賢治先生というのはもちろん宮沢賢治を暗に模している。
このお話自体がもうひとつの銀河鉄道の夜。
長野まゆみが宮沢賢治好きなのはファンの間では有名なところ。
そう言われて見ればもつ雰囲気も似た部分がある。

この賢治先生は何故か列車に乗っている。
その列車は浅草についたりもするしもっと南をめざしもする。


■カムパネッラとジョヴァンナ

そんな彼のもとにふいに現れる少年たち。
いかに美しい少年かというのは丹念に描写されているのだけれども、
正直わたしはそういう美醜云々を描写されるのがどうも気恥ずかしい性質。
(多くの長野ファンはこういう部分が好きなんですがね)
長野作品は大体2通りあって、宮沢賢治ばりの童話といいますかそういったものをモチーフとした旧かなづかい満載のもの(『野ばら』など)と、文章は限りなく平易で淡々としてもの(『白昼堂々』シリーズなど)があって、わたしは後者で長野作品にはまったクチ。
さては、これは超ロマンチックな美麗な文句でちりばめられたタイプの本かな──?
そう思いながら読み進む。

カムパネッラはもちろんもう1人のカムパネラ。
みな『カムパネッラ』とは発音できず『カムパネルラ』と発音してしまう。
彼は言う。


「ぼくの名前は正確に願います。どうぞ遠慮なく、こいつはなんて厄介で世話のやける子供だらう、まったく癪にさわるって思ひながら、舌打ちをなさってみてください。さうすれば、自然とカムパネッラになるんですから」


舌打ちしながら呼んで初めて正しい発音。
どうでもいい描写かもしれないですが、わたしはこれがどうもせつない。
子供の台詞ではないというか、それでも実は子供というものはそういう世界の掟のようなものをもうちゃんと知っているのだ──というか。
賢治も怒りにまかせてカムパネッラと発音できたりもします。
ただそれは、なんとも悲しい響きなわけで、なのにそれを自分の名前として主張するカムパネッラの存在と、自分だけはちゃんと発音できるというのを自負している、もしくは支えとしているジョヴァンナ。

ジョヴァンナは少年にも関わらず女言葉を話す。
ただひたすら少年を描く長野作品にしては異質の存在。
女の子を描く時の長野まゆみの視点はどんな年齢の女の子であっても『女』として描くので。
そのジョヴァンナはカムパネッラにとって自分が一番でないことを病んでいる。
だからこそ強行なまでに自分の存在をアピールする。
その強さはとたん崩れる脆さでもある。
ふたりの少年のやりとりはそんな危うさとともに進んで行く。

ジョヴァンナはカムパネッラの友情をただひたすらに求めている。
自分が一番でないことを知りながら。
そんなことはない、というカムパネッラは悲壮感がない。
本質的にジョヴァンナの不安を理解していないからだ。
ふたりのやり取りは少年同士の友情でありながらまるで恋のさやあてのようにくりひろげられる。
そしてジョヴァンナが少年でありながら少女でもあるような微妙さ。
小学校時代の友達の存在というのは、もしかしたらそういうものだったかも知れない。


■銀河鉄道の夜との融合

第四章になってふいに鉄道に乗る前に話がもどる。
そう、銀河鉄道の夜のはじまり──。
かつて読んだ銀河鉄道の夜の話がすーっと思い出されてくる。
名前は違えど、そこで繰り広げられるのはまったくの銀河鉄道の夜の序章。
虫眼鏡で活字をさがすアルバイトをしてお金をかせぐジョヴァンナ(ジョヴァンニ)と彼のあこがれの友人カムパネッラ(カムパネルラ)。
そのせつない導入部からふいに鉄道内へと話が戻る。
そしてカムパネッラはジョヴァンナを置いて行ってしまうのだ。
これが本当の銀河鉄道の夜の通りに進むのならば、カムパネッラは死んでしまったのだ。

この第四章、実はこの部分が先出しで『文藝』の宮沢賢治特集に掲載されたもの。
その後第一章~三章が書き下ろされてこの本になったらしい。
長野まゆみの中ではすでに全体はできあがっていたのかもしれないが、なんとも驚異的なこと。
この物語は一章から三章までのやりとりがあってはじめて第四章の銀河鉄道の夜をより長野まゆみのものとしているのだから。


■文章の中に落ちている言葉ひろい

先にも書いたように、実はもともといわゆる美文が苦手である。
こまやかな描写を愉しむタイプではないのだ。
にもかかわらず、最近は長野まゆみのそういう部分が好きになってきた。

多くのファンはきっと次々現れる夢のような世界、少年たち、星、食べ物、そういった長野世界をつくりあげている要素自体も大好きなのだろう。
わたしはどちらかというと、そういう『普通でない世界観』の中に垣間見られる『ごく普通の感情』表現をみつけるために読んでいるような感じだ。
特にこの本は、ちょっとでも気を抜くと気づかずに過ぎてしまいそうなそういった『感情』がはしばしにうめつくされている、そういう本だった。
何度でも読み返したくなる、そういうモノがあったのはなんともうれしい限りだ。

拍手

作/中島梓
出版社/ちくま文庫

ReviewWriteDate:2000/10/1
LastUpdate:2000/10/1

Note:
中島梓が『海燕』に1994年5月号~1995年4月号までに連載した文芸批評。基本的に毎回テーマが違う。乱捕りよろしく文芸誌を総なめにした第1回から、吉本ばなな、W村上、新人賞、演劇論、大江健三郎などさまざま。

Story:
文芸誌はいったい誰が読んでいるのだ!? みんなが思っていても口にしなかったことをズバズバと指摘する。吉本ばななはほんとうにすごいのか!? ダブル村上をどう読む!? 1960年の文芸誌をひもとけば!? つぎからつぎへと舌鋒するどく斬り込む中島梓流無敵の文芸批評!!(背表紙より)

ヒトコトReview:

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胸がすく一冊、言ってやったりって感じ
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わたしは栗本薫氏の本はあまり読んでいないのだけれど、何故か中島梓の本はよく読んでいる方だと思う。
なんにせよ、彼女の文章は怒涛である。
すごい勢いで読ませるし、句読点だけでいっきに飛ばしたりもするんで、たまについてゆくのが大変だったりもする。ダメな人はからきしダメでしょう。
わたしはそういった文章をより評論の文章で読むのが好きな人間だ。
とんでもない口語体で、色んな評論家たちが小難しい言葉で並びたててくる理論を、あっさりといいのけてしまったりするのが快感なのだ。


■流行りモノとわたし

わたしは天邪鬼なので、流行りの作家はあまり読んだことがありません。
どっちかっていうとすでに生きていない前時代の作家を好むような。
そんなわけで吉本ばなな、W村上にはまったく明るくないわけです。

中島氏が吉本ばななの周辺事情?に対して言っているので面白かったのが


世の中のベストセラーには2種類ある。ごく普通の、まったくインテリだという自負もなければてらいもない人々が「読んでないと遅れて恥ずかしい」と感じるものと、それなりにインテリだと自負(自負だけの場合のほうが多い)のある人々が「あんなもの読んでいると思われたら恥ずかしい」と感じるものだ。「ノルウェイの森」なんかは完全に後者であって「本屋であんなものを手にとっているところを見られたら世間体が悪い」というような感覚があった。

うわ──まるっきりわたしは後者だね。
わたしにとっての流行モノというのはこんな感じ。
読みもしないで感じていることももちろん多い。
ただ、人間1年は365日しかなくって1日は24時間だし本読んでるのなんて内1時間が精一杯。
はずすかもしれない本読む元気はないしやる気もないわけです。

吉本ばななは遠い昔、図書館で『キッチン』だったか『TSUGUMI』だったかを借りてきて読んだことがあるんですが、正直「えーと、何だったの・・・?」て感じだったので正直印象は悪い。
何かおこるのかと思って読んでたらいつの間にか終わってしまったというか。

それにしても中島氏の書評がおもしろいのなんのって。
これはもう原文を読んでいただかないと空気が伝わらないものなんで内容は割愛しますが、わたしが読んだら同じ叫びをあげそうだわ。(笑)

対してW村上論。
中島氏は「売れるのは仕方ない。だっておもしろいから」てな感じで(もちろん、もっと色々言っていてます。ここでは一部を抜いただけ)だったら読んでみようかなーと思った。
じつはわたしはW村上は読んだことがない。
大昔「ノルウェーの森」が流行ったときに初めて名前を知ったんだっけ、村上春樹。
なんかのクリスマス本かと思っていましたわ。中学生ぐらいかな?

あ、あとシドニー・シェルダン論もおもしろかった。
高校生ぐらいのとき友達に「面白いの!」といわれて借りて、「なんなんだーーーー? これは小説なのか? 本当に面白いのかーーー?」という現象を味わったわたしとしては・・・。


■ぜひ一読を

なにやら断片的なレビューになっていますが、この本自体がそもそも評論であり批評なんでそれに対してレビューもへったくれもないわけです。
本好きを自称しているなら、是非ご一読を。
読んで「そうだそうだー!」て盛り上がれればわたしと感性が似ているということが判明。
(判明してもうれしくないか???)

拍手

作/夢枕獏
出版社/文芸春秋

ReviewWriteDate:2000/10/1
LastUpdate:2000/10/1

Note:
夢枕獏氏の『陰陽師』最新刊。とりあえず舞台の前に読んどけって感じで読みました。

Story:
幽鬼、怨霊は人の心の中にいる・・・。
平安京の暗闇に轟く魑魅魍魎に、若き陰陽師・安倍晴明と朋友の源博雅が敢然と立ち向かう!
(帯より)

ヒトコトReview:

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マンネリと新登場人物との輪
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はっきり言って、あえてレビューを書く必要はないのである。
というのも、前作付喪神ノ巻と感想が変わるわけではないので。
いつも通りのふたり、予定調和の展開。夢枕氏の思い通りにいつでも同じふたりです。


■蘆屋道満登場

あえて違うとすると・・・蘆屋道満の登場でしょうか。
これで何となく思い出したのが水戸公門第1シリーズ。
みなさんはご存知でしょうか?
あの世紀の一大シリーズ、水戸公門の第1シリーズは毎回影で敵をあやつっている公門さまご一行の宿敵がいたのです。
さすがにわたし、名前までは覚えておりませんが、どの宿場に行ってご一行が事件を解決しようとかならず背後には敵がいて、その敵をつかまえることができないまま回が終わる。
で、だんだん回を経るごとに敵を追い詰めて行くというか公門様たちも切羽つまってくるというか。
たしかラストは一騎打ちでした。
そう、あの水戸公門は当初シリーズマンネリを予想してつくられたわけではなくて、必ずラストが訪れる物語として綴られていたのです。

対してこの陰陽師。
はじめから輝かしいばかりのマンネリ予定調和を画策して進みながら、それに変化が生まれている。
そしてその変化である蘆屋道満の存在すらをもマンネリにひきこんでしまう。

なんともおもろいこともあるものです・・・

拍手

作/コナン・ドイル
訳/延原謙
出版社/新潮文庫

ReviewWriteDate:2000/8/26
LastUpdate:2000/8/26

Notes:
誰でもしっているシャーロック・ホームズ。でもわたしは初挑戦。

Stoy:
ロンドンにまき起こる奇怪な事件を追って神出鬼没する名探偵シャーロック・ホームズは、その怜悧な推理と魅力的な個性で読者を魅了する。近代探偵小説を確立したホームズ物語の第一短編集。
(表紙裏より)


ヒトコトReview:

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シャーロックホームズの個性(キャラクター)を読む面白さ
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なぜ今更、シャーロック・ホームズなのか?
普通、中学校の図書館とかで借りまくったりするもんじゃないのか?

との疑問にお答えするならば、「新潮文庫夏の100冊を2冊買う必要があったのよ!」ということ。
「去年のYonda君ストラップもだいぶ黒くなってきちゃったし、新しいYonda君ストラップが欲しかったの」
そんなわけでYonda君ストラップフェア開始した途端が購入した本書。
もう1冊の白州さんの自伝はまだ読んでない・・・
Yonda君ストラップは7月には手に入れてたよ、わたし・・・
毎度思うのですがどうして夏の100冊は毎年変動がないのでしょう?
名作だからでしょうかね。
読みたい本はそんなフェアにならなくてもすでに読んでいるわけで、
毎年Yonda君グッズが欲しいために知恵をしぼって本を買います。欲しいものあんまりないから。
ちなみに去年買った2冊は外れでした。映画化されてたりして作家も出版数多いから大丈夫だと思ったのに・・・そんな本、読者に読ませるな!!!て感じで。

冗談はさておき・・・
もともとミステリーや探偵モノは読まないわたし。推測して読んだりしないのでおもしろくないのです。
ただ、最近好きな作家がミステリー系で、こういった古典的な流れを踏んでいるので
いっちょ原点を覗いてみよう・・・と思いホームズにチャレンジ。


■「恋愛には不器用」で「怜悧」で「音楽をこやなく愛する」キャラクタ勝ち。

正直、ホームズの推理に関する言及はいっさいできません。
前に述べたように、読みながら一緒に推理することに乏しいタイプの読書家のわたしは
文の言うままに読むだけですので「ほほう」とは思ってもどうこうという意見が浮かばない・・・(情けないことに)
なので本書を読みながらただひたすら感心していたのは、シャーロック・ホームズのキャラクタ設定。
探偵モノというイメージ以上に、キャラクタが生きている。そこにいる。
薄っぺらな「設定」とかではなくて、いるわけです、目の前に。

プライドが高くて、推理に関してはものすごい自負を持ちながら、ひょっとしたら人間的には自分が欠陥だって認めていて、音楽をこよなく愛し、ヴァイオリンをたしなむ男。
完璧なはずなのにたまに相手にしてやられる愛らしさ。
ホームズファンというのは事件そのものも、もちろん、こういうキャラクタにもはまっているでしょう。
マニアがいるはずだわ。
全短編、そのホームズのホームズらしさを愉しんで読むわたし。
きっと読み方間違っているでしょう・・・


■ホームズ君とワトスン君

おいおい、ホームズって友達はワトスン君しかいないのかなあ。
と読みながら心配になりました。

前作を読んでいないのでどういう経緯でベーカー街で共同生活をしていたかはわからないのですが、
ホームズほど他と線をひいてしまう人がどうやって他人を受け入れたのかなと──変なところに興味を示す。

『ボヘミアの醜聞』は、ワトスンが結婚後ながらくホームズと没交渉であった後の話なのだけれども、
なんとなくその家庭からワトスンを事件にひきつけるように仕向けたりしていて、と奥さんに対する軽い嫉妬まで勘ぐってしまう。
ワトスン自身も事件には興味深々なのだけれども、ホームズの「事件に関わらせよう」という態度の方が強く感じられてどうも気になってしまうんだよね。
だいたい自分が奥さんだったとして電報一本で旦那がいなくなっちゃたらブルーだと思う・・・
何とも淋しがりやなホームズ君、なわけです。

どうにも色々気になる、気にさせるホームズ君。
前後の作品も読んでみようかな・・・と思っています。

拍手

作/長野まゆみ
出版社/河出書房新社

ReviewWriteDate:2000/8/20
LastUpdate:2000/8/20

Note:
「古都遊覧」はJR西日本発行の情報誌『三都物語』に連載。
「三都逍遥」は『Hanako』の「三都物語」キャンペーン・シリーズ広告として連載。

Story:
いつしか旅立つ妖しのニッポンへ、かつて旅した懐かしの三都へ、
JR西日本「三都物語」キャンペーンで連載
(帯より)





ヒトコトReview:

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旅に出たくなる? ──気もしますが心地よい長野ファンサービス?
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■「古都遊覧」

本の前半、「古都遊覧」は『私』と『友人』が三都の色々な場所を訪れるショートストーリの集まり。
この『私』にはなんとなく長野まゆみ本人の匂いがする。
ふたりが各地を旅しながらふと出遭う少年たち。不思議な空間。そして消える瞬間。
いつもの長野世界が短い世界でJR西日本のPRという媒体の中でうまこと顔を出す。
そして『三日月少年』など長野ファンおなじみのキャラも顔を出す。
タイトルもさりげなく既存の作品と同じだったり、という遊び心が嬉しい。
一見PRなんだけど、なんのことはないファンサービスのような嬉しさ。

こんな短いお話でも、長野まゆみは長野まゆみだなあ──。

特にオススメは『三日月少年』『青玉(サファイア)レンズ』『白雲母(きらら)に眠る』。
「古都遊覧」はあくまで2人の旅人、日常の視点から覗き込む長野世界。
だからこその面白さであふれています。


■「三都逍遥」

うってかわって「三都逍遥」はいつもの長野世界の視点。
『私』も『友人』もいない。
長野世界にいくつもちりばめられたパーツが溢れてくる感じ。
こちらも一応三都物語のPRなのですが「古都遊覧」ほど場を意識しない。
というか、長野まゆみ独特の『どこでもないここ』です。
少年たちの世界。
今度は読者であるわたしたちが、覗き込む番。
存分に愉しんでください──。

拍手

作/三浦光世
出版社/角川書店(角川文庫)

ReviewWriteDate:2000/8/15
LastUpdate:2000/8/15

Notes:
三浦綾子の自伝、『道ありき』『この土の器をも』の裏バージョンにあたる。もとは『三浦綾子全集』の月報に書かれていたもの。

Story:
病気見舞いに訪れた初めての出会い、二人で語り合った将来の夢、結婚、「氷点」入選による生活の激変、妻の執筆活動を支えるために長年勤めた営林署を退職するに至った経緯……。
著名な女流作家の夫という立場を超え、精神の奥深くで理解し合い、耐えず手を取り合ってともに苦難を乗り越えてきた夫婦の歩みを、衒いのない文章で綴った誠実の書。
(カバーより)


ヒトコトReview:

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三浦綾子の夫としてだけではない、作品のおもしろさにひかれる
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■『道ありき』追体験

わたしが「好きな本は何ですか?」といわれてとっさに思い出す一冊が三浦綾子の『道ありき』です。
もちろん小説の方も好きなのですが、初めて読んだ三浦作品が『道ありき』だったせいもあるのでしょうが
ダントツ、NO.1はこの作品でした。
この『妻と共に生きる』はその『道ありき』の中途からあらわれる三浦光世氏サイドの視点の話しが読めるという
三浦綾子ファンにとってはおいしい作品。
併せて角川文庫から三浦綾子本人の『難病日記』が刊行されているのがタイムリーだなあ。
三浦綾子が亡くなった後だけに、ついつい手にとってしまいました。

『道ありき』では前になくなった前川氏の次に現れた光世氏は
再び三浦綾子(当時堀田綾子)を光のもとに連れ出した人物。
色々なエッセイでもたびたびエピソード、名前が出ていてすでに知っている人のような気分なのだが
実はその裏側で光世氏がどう考え感じ行動していたかが、それこを衒いなく描かれている。

実はわたしは『氷点』がいかにブームになったかなどは知らない世代。
(どうやら懸賞入選の頃わたしはまだ生まれていなかったよう)
以後三浦綾子がメディアでどう取り上げられていたかも気づいていないのか世代的に知らないのか。(笑)
きっとそういった時代を見知っている方にはより近しいお話になっているのでしょう。

それにしても、新聞の懸賞小説ってすごいなあ──発想が。


■ひとりの作家の作品

この本、本人はつたないつたないと書いていられるのだが、
なんとも面白い、読みやすいエッセイになっている。(エッセイなんて言うと軽いかもしれませんが)
途中、三浦綾子の小説の口述筆記にふれて、これで書くのが多少うまくなったかもしれないとあるのだが
それだけでなく、素養がある方なのだと感心させられる。
ただ、確かに文はこびや文などは三浦綾子かなと思わせる。
それさえも夫婦愛。
楽しい読書が味わえるはずです──

拍手

作/林真理子
出版社/角川書店(角川文庫)

ReviewWriteDate:2000/8/8
LastUpdate:2000/8/8

Notes:
女子、必読。(笑)

林真理子の有名エッセイ・・・としか書きようがない。
まえがきにある『とにかく私は言葉のプロレスラーになって、いままでのキレイキレイエッセイをぶっこわしちゃおうと決心をかためちゃったのである。』ですべてが言い尽くされてしまうでしょう。


ヒトコトReview:

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勝手に自己同一化しちゃいそうなおもしろさ、わたしこそが林真理子
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■エッセイスト林真理子、初体験

実は、このエッセイが林真理子初エッセイなのです──わたしにとって。
今まで読んだ林真理子作品というのもちょっと偏っていて『ミカドの淑女』だの『本を読む女』だの
ちょっと時代がかったまじめバージョン。
(『本を読む女』は切ないです。他力本願な本を読む女・・・あたしのことだ)
これが本領じゃないことは知っていながら
踏み込んだら帰ってこれないじゃないかという不安を呼ぶ刊行数。
そんなこんなで世間であれほど有名な作家でありながら、なかなか手が出なかったわけです。

今回はすみません、古本屋で手に入れました。
しばらく部屋のオブジェとなってから順番がめぐってきてさあ読書──

あ、という間でした。解説の通り。


■林真理子化現象

わたしはテレビをあまり見ない人だからなのか?
実は林真理子が色々騒がれているらしいことは知っていてもよくわかっていなかった。
なんでこの人が結婚するってだけでワイドショーなんだ?
と、実は思っていた。
なるほど。こーゆう理由があったのね。(何をいまさら・・・)

内容を読んでいても、このエッセイ、かなり古いことがわかる。
奥付見て・・・初版が昭和60年。
文庫になる前に単行本だったのだろうから、実際の刊行年代は少し前でしょう。
ということはわたしは**才・・・。

これ、そんな昔に「アリ」なんでしょうか、という本音本ですよね。
(本音かどうかはわからないですけど。
上手に手のひらで躍らさせられているのかも。そんな力でみなぎっている。
この場合の踊りは喜んで踊っちゃうけど。)

林真理子はこの中で自分のことを
「自分はナルシストだ」て言いきれる。
一番おもしろいのが『林真理子はなぜ林真理子か』ですよ。
言いきっちゃってでもわたし本当はかわいい女なのよーって必死で言ってみたり
でもどっかでするりとなんか「わかっちゃってたり」する。

えらいのは、というか頭いいのは、
あたしはこんなすごいのよっ、こんな女なのよって言いながら
自分の「世間一般の杓子定規からいけば変なところ、落ちこぼれなところ」ていうのを
ふんだんにスパイスきかせちゃうから、
読んでる側がついつい味方になってしまうところ。
すっかり、同化させていただきました。
わたしこそ、林真理子って。

ふつう、ある程度人っていうものは
「わたしは普通じゃない」
と思っているはず。
どこか特殊でどこか特別で──
そういった心をみごとにくすぐるわけです。
なんだ同じジャン──同じなわけないだろ、て林真理子は笑っていると思いますけど。

こーんな変だけどこーんなモテないけど(笑)でもあたしすごいのよ、って、そりゃすごい。

でもこれって多分コピーライター時代の作品なんだよね?
すでに小説の芽があるんですよね。
他の林小説、いってみようかなあ。

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